風骨ブログ - 酒の記憶を辿る旅 その2:児玉光久

酒の記憶を辿る旅 その2:児玉光久

カテゴリ : 
酒日記 » 地酒の幸福
執筆 : 
KKousaka 2018-8-26 9:12
前回、池袋の甲州屋酒店の話を書いたが、その店主が児玉光久さんです。惜しくも40代で逝去されましたが、その地方の地酒への貢献度は、他に比較できないほど大きなものがあります。東京に地酒を紹介したという実績だけでなく、地酒のなんたるかを広く知らしめた地酒の大恩人といえます。

昭和50年代、当時20代の私にとって、夕方、仕事帰りに必ず、この甲州屋さんに立ち寄るのが、楽しみで店頭で酒を酌み交わしながら、光久さんと話す時間はかけがえのないものでした。八海山も梅錦も神亀もここで知りました。地道に「酒販ニュース」という手刷りのチラシを配って、地酒を知ってもらいたいと良く取引先などに配っておられました。昭和58年の新潟でのアルコール共和国設立のニュ−スを伝えた号が手元に残っていたので、以下にご紹介します。




当時は、抱き合わせという吟醸酒を一本購入するためには、普通酒をかなりの数仕入れないと駄目だという慣習がまだあり、児玉さんがどんなに苦労して、吟醸酒などの特別な酒を手に入れていたかを知っていただけに、ほんとうに貴重なお酒を飲ませていただいたという気持ちでいっぱいです。毎日、購入した一升瓶の酒をぶら下げて、ほろ酔い気分で自分の千駄ヶ谷のマンションまで帰りました。

アルコール共和国(佐渡の真野鶴)には、その後、児玉さんの紹介もあって、毎年新潟の酒蔵巡りをするようになった頃、やはり児玉さんの紹介で夏に団体で訪れたことがありました。最近、新しい真野鶴の新しい社長さんと利き酒会でお会いする機会があって、その頃の話で盛り上がったのが記憶に新しいです。

ほんとうに惜しい人を失ってしまいました。

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