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風骨ブログ - 風土知研究カテゴリのエントリ

「この国のかたち」を講義資料にと考えて、先人の知恵・司馬遼太郎編を始めて、5年。
みどり夫人が最も司馬氏が気に入っていたのは、「空海の風景」だったと語られて、サインをして人に渡すのは、空海の風景が多かったと語られたことを知っていて、その著作を取り上げる講義ができなかったことをいつも考えてきたことをなんとなく思いだします。1975年にこのシリーズの連載を終え、単行本として出版してからの数作の司馬さんの著作は、その歴史観の集大成だったことを思うと、その意識の変化がわかります。86年からの「この国のかたち」だったと思います。
1985年に井筒俊彦氏が「意味の深みへ」で東洋哲学としての言語哲学論を語られたことに関係があるような気がしていたのは、私だけでしょうか?85年当時、イスラムと一緒に空海についても述べたこの著作に出会ったときに、きっと司馬さんも読んでいるはずだと思いました。

今だからこそと久しぶり、30年以上経って、今、この本を開いて、初めて、「空海の風景」について講座を開く決心がついたようです。
20年前、20世紀最後のときに故河合隼雄氏が座長として、まとめた「21世紀日本の構想」懇談会。その報告書をあらためて読むとこの時代に「NPOの登場」「地域教育」「異文化交流」など多くの課題と提言が進められ、今があることがわかります。
ただ、その反面、「NPO」は形だけで、その当時のビジョンを形にするというよりは、行政からの委託業務の受け皿機関に成り下がってしまい、その民間と地域の知恵と住民の力の結集が果たせていない点や、教育では、公教育という方向性だけでなく、地域での社会教育との両輪の必要性から、その後、提唱された「コミュニティスクール」も公教育の簡易支援策となっています。
本来の社会教育を「協治」という概念で行政のみに頼らず、地域の力で新たな創造をという構想では、こうした意識が後退して、現状の公教育の補完・附属機関程度のものにしかならないままでいます。

この20年を経てのこうした現状を河合先生はどのように感じられるのかと思うと情けない気持ちでいっぱいになります。もっと、しっかり注視して、その道筋を支援し、推進・実現のための努力を続けなければいけなかったと反省しきりです。

「まだ、遅くないから、本気を出しなさい」というのが、多分先生の今を見てのコメントでしょう。
風土知研究での先人の知恵を学ぶー司馬遼太郎編「この国のかたち(一)」での第二章「朱子学の作用」を一体どのように展開しようかと考えていたのでうが、ようやく、公教育の学び直し講座での「教科横断」という試みに「歴史」と「道徳」をつなぐコンテンツでという決断ができました。

どうも司馬先生の「尊王攘夷」への視点をそのまま、歴史で教えるだけでは、「この国のかたち」の一連の論理の流れ上は良くても、歴史一辺倒では、なにか物足りない気がしていたので、なんとなく、すっきりしました。

司馬先生が存命でしたら、多分、今の道徳教科を知って、この章から、「江戸」から明治へ、西洋の教育が流れ込む中に「儒教と朱子学」の亡霊が成した仕事のようなものを感じ取って、同じように考えていただけたのではないかと思えます。
また、現在、孔子「論語」を教えるべきという輩が登場しているようなので、異文化交流の入口としてもイスラム世界のイスラム法理解への入口としても活用できるような気がしてきました。もちろん、白川静先生の漢字学にも協力してもらい。「道徳」を解題できたらという思いです。
昨年から、小中学校の教科書への大人の理解と世代間教育環境の共有という計画を進めています。
毎年、小金井市で採択される教科書を調査するようになって、その公教育のその一つの活動として、基礎となる教科書と学習指導要領のひどさを実感するようになりました。

このサイトの風土知研究で先人の先生たちのコンテンツを地域社会教育へ展開したいと考えながら、そのコンテンツを整理しているとその内容の乖離に愕然とします。
幸せな大人としての生活のための「教育」でなく、働くための「大人づくり」の教育がいかにとんでもないものを生んできたかを実感する毎日です。

新たに、「六部塾」での以下の実施計画をする必要性があると決断しました。
http://www.ku-gai.com/modules/fuudo/index.php?cat_id=254
20年以上も昔の故河合先生が中心となってまとめられて「21世紀日本の構想懇談会」の報告書を読むと、いかに当時この報告書の大事な骨となる部分を理解できずに、実現可能な「非営利法人の活用」「国際化教育の重要性」「民間の教育への参入」など、企業や地方自治体が実現可能な範囲の提言のみが進められ「多様性の享受」「地方に自立」「統治から“協治”へ」「家庭・地域教育の遅れ、不足」などという実現が難しそうなものは後回しにされ、現在にいたるかが見えてきます。

各分科会の報告もしっかり読み込んで、もう一度、この構想の意味を再認識して、歩み直すことが必要です。そう思っているのは、私だけかもしれませんが。
このサイト内では、こちらでその報告書の概要をご覧いただけます。
東京学芸大学のインキュベーションセンターが推進するExplaygroundに関わってみて感じるのは、既存の文部科学省などの放課後プログラムとか、地域連携のためのコミュニティスクールなどの路線を外れるプロジェクトの少ないことです。
例えば、口では、「インクルーシブ教育」といっていて、多様な個性の子どもをというイメージのみで、同年代の障害者は視野に置いていますが、多世代との学習環境、空間、時間、コンテンツの共有という発想は、ほとんど無しです。大人と一緒、おじいさんと一緒などということは想像もできていないというのが実態です。公教育での小中学校での教育という枠組みから外れることがないからでしょう。既存の公教育の視点から、ほとんど転換できていないのが実感されます。
それぞれの世代は、同じ空間に生きているのにまるで別な世界で生きているかのような教育環境が現出します。教える、語る存在としての「教える側」の生き方も内包できないような教育や相互に学びあう環境無しには、破城こそすれ、発展できないのがなぜ、理解できないのでしょう。

故河合隼雄先生が「仕方ないね。その今と付き合っていくことが大事。気長にやりなさい。」と笑っておられるのがわかります。
まだ、書こうとしてかけていなかった“浄瑠璃記”についての講座用投稿を何とかまとめました。この国のかたち(一)でのこの章の位置づけは、不思議な感じがしていたのですが、“近代の超克”などを書いた後のためか、すっきりと頭に落ちてきたような気分です。「菜の花の沖」に司馬氏が大きなものを込めたのがなんとなく、見えてきます。
実際の講義としては、小中学校や高齢者向けの江戸文化の浄瑠璃や歌舞伎などの学習と連携して、この投稿が活用できればと思っています。
新たに開始した文化論の「倫理・道徳」編講座は、地域での公教育における「道徳」授業などでの実態も視野に展開することで地域の学校連携活動に展開できるようにしたいと思っています。

第一弾を以下のカテゴリーで開始し始めました。
http://www.ku-gai.com/modules/fuudo/index.php?cat_id=246
同文化論の最初の横尾忠則氏の「肉体と創造」を更新しました。
小金井市の芸術文化振興計画策定委員会を傍聴し始めたのに合わせて、この文化論の芸術編の講座をスタートしました。

昨夜は、同委員会のグループワークに参加してきましたが、色々感じる部分も多く、地域における芸術文化活動は、まだこうした河合先生の文化論からは、遠い部分で空回りしているようですが、根気強く、付き合いつつ、その風土知としての展開を提案していけたらと思います。まだ、

今は、小金井での現状把握の域を出ない状況ですが、なんとか具体的なアクションとして参加できたらと願うばかりです。
かじや酒店への聞き書きのために取材交渉の第一弾です。

まず、店番をしてた息子さんに交渉するところからでした。最初は、角打ち体験からにしました。11月の飲み放題角打ちの日に飲み放題の前の時間に3種の酒を角打ちさせていただきました。

新潟の宝山酒造のゆきん子舞100%と奈良の百楽門、奥飛騨の初緑の美山錦、純米吟醸を角打ちさせていただきました。3種を飲みながらの「聞き書き」のお願いをすることになりました。