宮崎さんのアニメーションに関する文献は、多数ありますが、この聞き書きは、その風土と人となり、人の物語を聞き出していく作業なので、文献は、宮崎さんが尊敬する他の文化人との対談や自分史に関わるものを基本とします。

もちろん、現在、スタジオジブリのある梶野町の歴史や風土とその風土との共生する企業としてのスタジオジブリなどについての話に関連する文献、資料も参考にします。

1)文化人との対談

ここでは、風土学習基本資料にもある「司馬遼太郎氏」や宮崎氏が尊敬する「堀田善衛氏」との対談などを取り上げます。

まず、最初は、宮崎さんが望まれて実現した、司馬遼太郎氏と堀田善衛氏との鼎談「時代の風音」(朝日文芸文庫・朝日新聞社刊)です。
この文庫本が1997年に出版され(単行本は、1992年)、手に取ることができたのは、自分の会社を数名で興して、十数年という40代のときでした。宮崎アニメも既に知っていたのですが、あらためて、その思想の芯に触れるような気がして、何度も読み返した記憶があります。この鼎談について、文頭とあとがきにこの鼎談への宮崎氏の想いを読み取っていただくこと、それによって、宮崎氏が何を考え、求めていたのかを知ってもらえればと思います。宮崎氏は。1941年生まれですから、鼎談のあったのへ、50代に突入した頃です。

<以下、転載部分>

書生として

宮崎:
じつは、お二人にお話しをしていただきたいと、私はずっと長いあいだ熱烈に願っていたのです。一つには、私は若いときから堀田さんの作品を読んで、どれほど理解していたか、¥わかりませんけれども、ずいぶん影響をうけてきたつもりです。特に『広場の孤独』(昭和26年、芥川賞)のラストで、日本脱出をやめて闇ドルを焼く主人公の姿に、自分もこの日本という好きになれない国とつきあうしかないんだ、と考えました。
それ以来の堀田さんの戦後の歩みは、私にとって最も誠実な日本人の生き方の手本でした。その堀田さんがスペインに行かれて、国家はなくなるだろうということを書かれたことで、肩が軽くなるというか、ほっとした経験があるのです。
同時に、司馬さんの本を読んでいました、とくに『明治という国家』やNHKテレビの『太郎の国の物語』はビデオで何度も見てひじょうに感動しました。司馬さんのおっしゃっている道徳的緊張とか徳目というものに対して、ものすごく魅かれるものがあるのです。

お二人の違いというのは、カソリックとプロテスタントの違いかなと、勝手に思ったりしているのですけれども(笑)。

司馬:うまいたとえですね。むろんクリスチャンじゃありませんけど(笑)。

宮崎:
私の頭の中で、お二人が全然整理のつかないまま身体が二つになってしまったような具合に同時に共存しているものですから、できたら橋をかけていただけたらどんなにうれしいかと思いまして、是非、お二人に話していただきたかったのです。

(中略:ここで書生として、その立場でお二人の話をするのを傍で聞くという役割を説明)

ついでにおしゃべりしてしまいますと、私は子供を相手に商売をしているものですから、子供たちの状況というものが気になるわけです。子どもたちに向かって、大人としてこれなら本当だといえるものを作っていかないと、要するにリップサービスで愛だとか友情だとかいうのではなくて、本音を語らないと子供たちはまったく受け付けません。

そういう点からみていきますと、国家としてだけでなくて、民族として、種族としてでも日本はどうなってしまうのだろうということが非常に気がかりなのです。そのへんも含めて、お二人にお話し願えたら、ほんとうにうれしいのですが。

あとがき 宮崎駿

(前略)

心情的左翼だった自分が、経済繁栄と社会主義国の没落で自動的に転向し、続出する思想のない現実主義者の仲間にだけはなりたくありませんでした。自分がどきおにいるのか、今この世界でどう選択して生きていくべきか、お二人なら教えていただけると思いました。

まさか実現するとは。しかも自分が聞き役にまわってです。意を決するとはこの事でした。
恥をかくのをいとうつもりはなかったのですが、残念なのは、自分の力不足です。日頃、言葉の定義をあいまいにしてきたむくいでもあります。もっとつっこむべき瞬間を、何度も私は逃しました。立ち止まって考えている間に、会話は次へと進んでいったりしました。

忘れられないのは、

「人間は度しがたい」
司馬さんがとおっしゃった瞬間でした。堀田さんが坐りなおしつつ、

「そうだ、人間は度しがたい」
と応えたのです。大きな元気な声でした。

堀田さんは、牛車に折り畳み式の方丈を乗せて、京をすてて山へ入っていく鴨長明のようでした。
司馬さんは、天山山麓のみどりの斜面の、馬にまたがった白髪の胡人のようでした。

私は取り残された絵草子屋のようでした。
私事の申し訳ありませんが、死んだ母のことを思い出していました。
「人間はしかたのないものだ」というのが彼女の口癖で、若い私と何度も激しくやりとりしたのです。戦後の文化人の変節について彼女が語るとき、不信のトゲは何かいたたまれないものがありました。

茫然としながらも、お二人の言葉は私の気を軽くしてくれました。澄んだニヒリズムというと、誤解を招くでしょうが、安っぽいそれは人を腐らせ、リアリズムに裏付けられたそれは、人間を否定することとは違うようです。
もっと長いスタンスで、もっと遠くを見る目差しが欲しいとつくづく思います。


<転載、以上>

この鼎談で語られる内容は、宮崎さんの質問かた発された以下の内容です。それぞれは、基礎学習資料庫にあるコンテンツから、ご紹介します。該当する項目から、リンクしていますので、それぞれ、ご覧ください。

1)二十世紀とはどんな時代か〜その混迷の世紀をロシアと中国、武器という側面から解く〜
2)王国と法による国家(ネーションとステートにみるヨーロッパと世界の国々)
3)ヨーロッパ人・アジア人という表現

この後は、
2)宮崎駿氏の年譜
3)小金井市梶野町の歴史と続きます。

<この項、作成中>

プリンタ用画面
友達に伝える
投票数:8 平均点:5.00
前
漫画、アニメーションの聞き書きの考え方
カテゴリートップ
アニメーター、アニメーション、漫画プロダクションに聞く
次
宮崎駿聞き書き準備 その2:宮崎・スタジオジブリ年表