菊池邦夫院長


<同院HP掲載情報>

当院は1982年に父の後を継ぎ開業致しました。爾来、亡父の<医は仁術>の遺志を座右の銘に日々診療しております。
又、1999年には開業以来の患者さまの高齢化に対応し、介護事業所「通所・訪問リハビリテーションきくち」を立ち上げ、クリニックと両輪で地域に密着した医療をめざしております。

当院の診療の特色といたしましては、西洋医学だけではなく、漢方治療・鍼灸といった東洋医学による治療を行っている点があげら れます。東洋医学による治療は、西洋医学では原因の特定が難しいような症状に対して、長期間にわたって体質を改善していくようなケースに向いています。そのため、両者を組み合わせることによって、現在の症状に対する対処療法と、その元々の原因に対する根元治療を並行して行うことが可能となるのです。

漢方薬については当院ホームページの「漢方」の項目でも詳しく解説しておりますので、ご興味がおありの方は是非ご覧になってみてください。

<沿革>

1941年東京当院開設地に生まれる
1967年東京慈恵会医科大学卒
1967年東京慈恵会医大病院脳神経外科勤務
1979年上海中医学院留学
1982年当地開院


<HP掲載情報、以上>

慈恵会医科大学について
慈恵会医科大学の在学当時は、樋口学長時代

昭和33年(1958)12月、樋口一成は東京慈恵会医科大学第6代学長に選任され、ほぼ同時に学校法人慈恵大学理事長に就任した。その後の9
期18年にわたる“樋口時代”に、慈恵は大きく成長することになる。
 樋口は就任にあたって、「学長としては学問的水準の高揚を図り、理事長としては病院の増改築を急ぐ」と宣言し、まず財政再建のために
附属病院の新築に着手した。銀行から借り入れを行うとともに、学債を発行し、同窓生や父兄にも協力を求めた。
 新病院として5年の月日をかけて病院の本館A棟を建て直し、昭和37年(1962)10月に盛大に落成式が催された。この時に本院の正式名称を東京慈恵会医科大学附属病院、通称を「慈恵大学病院」と改めている。
あまりにも多くの足跡を残して急逝する
 樋口がもっとも力を入れていたのが、進学課程の設立と充実である。昭和35年(1960)4月に開校し、後に理想的な学習環境を実現するために、実験実習室、語学実習室、図書室などの施設を拡充していった。
 また、講座の増設に伴い、昭和39年(1964)に306人だった教員数は、昭和47年(1972)には598人にまで増員されている。
 樋口は、学外での活躍も卓越していた。その象徴とも言えるのが、私立医科大学の学長として初めて日本医学会総会会頭に選任され、開催されたことだ。しかし、その間の昭和50年(1975)8月26日に、樋口はこの世を去る。享年71歳。告別式の一般の会葬者は5,000人にも上った。


<中国留学時代について>

●中国時代1979年(昭和54年)の留学;中医学

上海中医科大学院
住所
上海市浦東新区蔡倫路1200号

上海中医薬大学は、1956年に国家により創立された四校の中医薬学校のうちの一校で、これまでに多くの中医薬の専門家を輩出してきました。学校には700名以上の教授や専門家、中医師がいます。

現在、日本、韓国、ロシア、フランス、イギリス、アメリカ等、30以上の国から1000名以上が上海中医薬大学に留学し、中国語や中医薬について学んでいます。 ここでは中国語学習だけを目的にするのではなく、予科クラスで中国語を学んでから中医課程に進んでいく学生が多く、本場で中医を学びたい人にはうってつけの大学です。

また、短期留学生でも中国語に加えて鍼灸やマッサージ、気孔、薬膳等の授業があり、日本語で受けることもできます。

【沿革】

1956年: 前身の「上海中医学院」創立    
1981年: 学士、修士、博士課程を設ける    
1993年: 「上海中医薬大学」と改名し全国で最も早く中医専門の大学となる    
1994年: 国際教育学院 設立


<上海中医科大学について、以上>
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