【小金井市誌の第13編にある在郷軍人会の聞き書き《昭和》にある石田精一氏の父親の石田進氏の聞き書きから】

名勝小金井桜の会の代表である石田精一氏への聞き書きは、その父親である石田進氏の聞き書きが市誌資料にあることで、その流れを継ぐ意味含めて、第一資料として、在郷軍人会の地域の古老への聞き取りを文献として、取り上げました。

石田進氏について

明治33年2月3日生まれ、住所:貫井北町3-9-18

<聞き書きより>
大正8年に陸軍砲兵工科学校の召集に応じて入校、同10年卒業、その後、伍長に任官して、下関の野戦重砲兵隊付きになり、約2年半を下関で過ごす。

大正13年5月 陸軍技術本部付を命じられ、東京に赴任7(関東大震災の復興が始まったばかりの時期)
戸山ヶ原練兵場の一角に建てられたバラック庁舎の技術本部に着任。

昭和3年 済南事変に出動の名古屋師団に臨時配属され、北支山東半島に派遣される。青島には、1年いて、昭和4年5月には、内地に帰還。元の技術本部に復帰。

昭和12年8月満州駐屯の野戦砲連隊付けとして満州に渡り、チチハル、孫呉等、北満州の国境警備の任についた。
約4年半後の昭和17年2月に再び、陸軍技術本部の命を受けて内地に帰還。

この時、技術本部の庁舎は、小金井に敷地を得て、急速に建築が進行し、一部の移転を始めている時期。

<中略>

私はその当時、行政本部技術部に属していて、主として小金井地区に所在する各研究所との連絡業務に携わっていた関係で昭和20年5月の大空襲で、大久保庁舎焼失の後は、五研(電波研究や通信関連)の一部分を借りた分室で執務しました。爆弾は投下されることなくすみ、終戦を迎えました。
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