トップ  >  様々な「地域再生、創生論」を知る  >  内田樹「ローカリズム宣言ー“成長”から“定常”へー」その2:各章の優れた点から学ぶ
さて、この本の優れた点をひとつずつ学び、それをどのように「風土知研究」に活かしていくのかを以下にご紹介していきます。

●第1章:脱「経済成長」 グローバル資本主義は終焉する

この章は、成長神話を突き崩すための章です。その流れは、

「人間は一日5度も食事できない」⇒
「貨幣で貨幣を買う経済」に何の意味があるのか⇒
教育、医療、治安を商品化してはいけない⇒
公共サービスの基本原理は、遊牧民の「歓待のルール」であるべき

さらなる経済成長を望めば「中世」に退行してしまう

というものです。この中の大事な論点は、「いい加減、成長を目指すのを止めましょう」ということです。商品化という名の元に医療や福祉などの公共サービスを金で買えるものとして、誰でも受けられるものでなく、金持ち程受けられるサービスとしたら、中世にもどってしまうと警鐘をならしています。もちろん、学校教育もそうだとして、「金で買える人」に優先配分することを許したら、教育のあるなしで差別される社会を現出させることになってくる。いまの社会が「グローバル化の延長線上に指向されたポスト・グローバル」というかたちで、国内の経済成長を国の株式会社化を基本として成し遂げようとすることによって、近代以前に退行していくことになると憂いています。(詳細は、内田氏の「脱グローバル論」に詳しい)

この章の中で、より発展させて考えたいと本サイトで考えている要素は、上記の赤字の部分です。>
この項目では、成長が鈍化した先進国社会「成熟社会」で経済成長を無理強いする傾向=「未成熟社会に戻す」に警鐘をならしています。これを「中世化」と表現しています。
「それなしでは人間が生きてゆけないもの」の商品化がその方法としています。公共物として管理し、全ての市民が等しく享受できるようにしなければならないものを私有の原理(民営化の結果)にきょうすることで、「受益者負担」という原則のなかで、欲しければ金を出せとすることです。これに対して、氏は、こうした公共サービスは「遊牧民の“歓待ルール”⇒それがなければ生きてゆけないものは、無条件で提供するというルール」に従うようにしなければならないと語ります。

第2章「山河」を守る 「成長」から「定常」へシフトせよ

この章の流れは、

江戸幕府の統治原理は、「定常」⇒
日本の「自然環境」は、プライスレス⇒
経済成長(フロー)が止まっても、潤沢な資産(ストック)は残る⇒
アラームを聴き取った若者が都会から逃げ出している⇒

というものです。
「文明崩壊」の著者として知られるジャレド・ダイヤモンドによる日本が唯一、自然崩壊から免れたのは、江戸時代の森林保護政策によるものという説を紹介し、いかに日本が廻られた自然資産を持つ国であったかだけでなく、それを守ったのが江戸幕府の功績だったことを示しています。

その森林政策が実現できた理由を4つ挙げています。
1)江戸時代の人口が250年にわたって、2600万人から2700万人でほぼ一定していたこと
2)有限の自然資源を持続可能な仕方で消費する仕組みを持っていたこと
3)鎖国していたこと
4)国内が300の「国」に分割されていたために、「国境」の障壁によって商品や人の流通が抑制されて貨幣経済が発達しなかったこと


これを「定常」という概念で評価しています。
つまり「この代も孫の代もその後の子孫までも、いまの自分と同じ土地で、同じような生活様式で、同じような生活文化を営んでいることを前提とした社会を設計した」
ということを説明しています。

つまり、現代で経済社会として良く語られる「ストックからフローへ」という傾向に対して、「ストック=自然資産」の重要性にもっと着目しなくてはならないとしているのです。

こうした中、現在の自民党一党独裁で経済成長を推し進める一方の日本の動きに疑問を感じ始めた「若者」が都会から脱出し始めている点をとらえ、その都会脱出に必要な視点を以下のようにまとめています。

株式会社にいたときに身体にしみついた成長モデルを地方での生活にあてはめてはならない。都会から脱出する以上、資本主義の常識はいったん棄てる必要があります。
「脱都会」は同時に「脱市場・脱貨幣」経済へのシフト、「成長モデル」から「定常モデル」へのシフトを意味しています。



第3章「国家の株式会社化」 サラリーマンマインドを捨てよ

この章は、「株式会社化」が前の章の公共サービスだけでなく、政治の中でどのような弊害を生んだかを伝えています。今の政党政治の落とし穴を明確にしてくれます。各項目は、以下の通りです。

いまの議員は、党執行部の指示に完全服従する「イエスマン」⇒
行政が「株式会社」をモデルにするのは変である⇒
国会は、「シャンシャン株主総会」⇒
日本は独裁制に向かっている⇒

この項目を見ただけで、安倍政権、トランプ大統領と共和党政権、プーチンロシア政権など、現代の縮図という気がするのは、私だけでしょうか?ただ、ここで内田氏は、「株式会社化」という表現にこだわっていますが、私は、この風土知研究の中で問いただしたいのは、「職業知」という側面です。都市化でサラリーマン経験をした人々にとって、株式会社化は、自らの血肉となった職業知の世界の肯定という側面をもっているということです。「株式会社=利潤追求」という基本原則の何が悪いのかということです。資本主義の基本原則だろうというわけです。落とし穴は、やはり公共資本、社会資本すら、資本主義という題目で、利潤追求という枠組みに取り込んでいくことです。私の言いたいのは、「会社が利潤追求をするのは、その社員の生活のための第二義的な目的で、第一義的な目的は、社会、住民の幸福の実現だ」とする考え方の重要性です。それは、株式会社なのか、NPOなのかという議論ですり替えることとは違います。本来の会社=法人とは、そうあるべきなのだという考え方です。もちろん、この章での内田氏の提示した政治もそうしたものである筈なのですが。政治だけでなく、本来の民間企業もといいたいのが、私の考え方です。

第4章「定常経済」と「贈与」 先人の資産を次世代へパスせよ

この章は、 資産の「贈与」「交換」が定常経済の基本となると説明する章です。その流れは、

「人口3000人の村で27軒の飲食店が潰れないのはなぜか?」⇒
「GDPゼロ」でも「交換」で豊かに暮らせる⇒
「贈与」を受けたものには、「反対給付」の義務がある⇒「株式会社思考」の人に共同体はつくれない
というものです。

定常経済をよりわかりやすく実現するためのヒントがこの章です。

ポイントは、「手持ちの資源をできるだけ高い質において維持する」ことと語られます。そのためには、「資源を軽々に換金しないこと」としています。
27軒の飲食店という例もこの資産を潰れないように守ろうという村の考え方が実現したもの、つまりは、地域共同体で「相互扶助、相互支援のマインド」が「受肉」されていたから可能になったというわけです。
そのためのキーワードが「交換」です。受け取ったサービスを自分が得意とする分野でいつか「お返し」をするという仕組みです。

つまり、「株式会社思考=共同体内部での相互扶助を商取引と考えるような思考=強者の論理」は、先人から得た物を後輩にパスしていくような共同体の考え方と相いれない。という考え方の共同体を維持していくのに最も重要だということです。

「先人から渡されたものを次の世代へ、仲間から提供されたサービスを自分の得意技でお返しする」これが定常経済の鍵となることを憶えておきたいものです。

第5章「小国寡民」と「ハイパーグローバル」 「グローバリズム」と「アンチ・グローバリズム」の安定点を探せ

第6章「廃県置藩」のすすめ 日本をローカルに「分節」せよ

第7章地方で生きるということ 脱都会で人間的成熟をめざせ

この章は、都会と比較して、「地方でいきる」ことの意味と重要性を色々な要素から、提示されています。その流れは以下の通りです。

「都会のサラリーマン生活は、リスクの高い生き方」⇒
「もはや効率化とイノベーションによる成長はありえない」⇒
「グローバリストは、日本でしか生きられない人を最下層に位置づける」⇒
「経済活動は、人間が市民的成熟するために生み出されたもの」⇒

ここで、タイトルだけを見ると内田氏が経済活動を否定しているかのように見えるかもしれませんが、違います。氏は、人類学者のマリノフスキー氏の述べられた「クラ交易」という経済活動の起源的形態を引き合いにだして、本来の地域間の経済活動=交易は、公益する村=クラ仲間との物々交換だけが目的ではなく、最優先課題は、「異族の内に信頼できる友人をつくること」と「航海術の習得」だったのだと説明しています。氏が指摘する経済活動とは何か。その結論は、以下の通りです。
「経済活動は人間の社会的成熟を支援するために人間が創り出したものであって、経済活動を維持するために人間がいるのではありません。それが経済について考えるときの基本です。」

この基本は、企業=利益追求、社会性はその次と語る企業人に聞かせたい一言です。



第8章「個人」から「集団」へ 共同体主義で"危機"を乗り切れ

第9章脱「市場経済」 市場に委ねる部分を減らしていく

第10章脱「地方創生」 地方創生の狙いは冷酷なコストカット

第11章脱「国家」 国家の存在意義が急速に失われつつある

第12章定常経済へ 「小商い」で生き延びろ

第13章脱「マスメディア」 真偽を見極める直感力を身につけろ

第14章脱「査定」 これから君たちはどう生きるのか?


【このサイトの風土知研究から提案するこの著作への課題と展開の方向性】

地方再生、創生という視点から、非常に実りの多い著作です。
ただ、このままでは、幾分の疑問が残ります。内田氏が大学教授ということもあるのか、この著作の語りかける対象が主に「大学生」や「新・社会人」などであることも関係があります。


私たちが本サイトの風土知研究で指向しているのは、
地域コミュニティにおける「全層」への視点です。

その意味では、
「高齢者と若者」、「子どもと親」、「育児をする主婦とその他の層」、「民間企業の経営者と従業員」、「地域の大学などに通う学生と教員」、「地方行政を担う層」など
「地域社会を担う全層がどのように地域の発展を担う集団づくりとその方法を獲得していけるかという視点を取り入れて、さらに発展させていく必要があります。

[b]さらにもっと重要な点は、地域によってその風土文化というものは内容が異なる点です。似ていても同じ風土文化をもった地域などというものは、存在しないのです。その独自で固有の風土文化(財産)を掘り下げ(発見できていなかった風土文化の探求)、理解(地域で教育することで共有)し、育て(さらなる未来へと続く文化として育成)いくことが、いかに重要かを伝えられたらと思います。その意味で、この著作は、重要な鍵となると信じています。


このサイトでは、これらの地域創生論を知ることで、その地域創生の考え方の今を知り、新たな風土知研究プログラム、方法論を摸索していきます。

<この項目、了>
プリンタ用画面
友達に伝える
投票数:4 平均点:5.00
前
内田樹「ローカリズム宣言ー“成長”から“定常”へー」その1:概観する
カテゴリートップ
様々な「地域再生、創生論」を知る
次
宮内泰介「人々の自然再生(歩く、見る、聞く)」