【なぜ、六部塾というの?】

講座の最初となる入口は、その塾のアイデンティティを理解する講座です。ここでも全世代向けの試行を考えていきます。

1)【名前を考える】

六部塾は、「六部」と「塾」という2語から成り立っています。塾は、正に勉強する場所ですから、問題は、「六部(ろくぶ、りくぶ)」という意味です。

この「六部」を見て、「ふるさとを廻る六部は、気の弱り」という川柳を思い出す方は、何人いますか?
または、六十六カ所の霊場行脚ということを想像するかたは少ないかもしれません。

実はこの六部は、上記の川柳から反意的に取ったものです。まず、この川柳の意味をご紹介します。



「六部」(ろくぶ、りくぶ)とは六十六部の略で、全国六十六か所の霊場に法華経を一部ずつ収めながら祈願する旅の巡礼者の事で、この川柳の意味は、
信仰を果たすため見知らぬ土地を訪ね続ける
巡礼者の旅の人生にあっても年を取って心身が衰えて来ると自分の生れ故郷やその近くばかり足が向かいがちになることを「気の弱り」といったものです。

この塾では、実際に60歳を過ぎて、年老いたことでいままで、できなかったこととして、ふるさとに足を向け、その魅力や価値をしっかり伝えたいという私の想いかららです。「気の弱りなどといってはいられない」「でも、改めて、いままで十分に知っていなかった、ふるさと(風土知)をしっかりと学んでもいかなければいけない」そうした、私の思いを込めた反意的な表現として、風土知学習の塾名に採用しました。

2)【川柳の「ふるさとを廻る」イメージを知る】

この川柳やこうした表現に興味のある方は、是非、藤沢周平氏の最後の随筆集「ふるさとを廻る六部は」をご紹介しておきます。氏は、故郷の庄内を舞台にした時代小説でも知られ、その郷土愛に触れることのできる随筆です。最後の随筆にこのタイトルを選ばれた意味も書かれています。是非、ご一読ください。




3)【小金井市内で六十六部とその供養塔を知る、見学する】

また、小金井市内でも実は六十六部廻国供養塔をみることができます。東京では、江戸中期以後にこうした供養塔が

実際の碑は、小金井市生涯学習課文化財課のデータによると次の通りです。<市の公式サイトより、有形民俗文化財リストより、転載>

22【有形民俗文化財】宝永五年ほうえいごねん六十六部(ろくじゅうろくぶ)廻国(かいこく)供養塔(くようとう)

市指定文化財宝永五年六十六部廻国供養塔
宝永五年六十六部廻国供養塔

宝永5年(1708)、紀州出身の巡礼者(六十六部)が両親の菩提を弔うため願主となって、小金井村の人々などの協力を得て造立されたものである。巡礼者の氏名や出身地、供養に参加した村人の氏名が刻まれており、近世における廻国巡礼信仰と地域住民との関わりを示す重要な資料である。

廻国供養塔は、都内では、江戸時代中期に出現し、明治時代初年まで造られ、180基ほど確認されている。本供養塔は出現期に属し古い。

※はけの森緑地2内所在(中町4丁目12番、月曜・木曜・土曜・日曜日開園)>詳細は、こちら

<転載、以上>


5)【多摩地区にある「六」を知る】

六十六部廻国供養塔以外にも「六」の付く歴史的な事象や場所は多摩地区には多くあります。

【六玉川とは】

全国に6か所あり、総称して六玉川 (むたまがわ) という。宮城県塩釜市・多賀城市を流れる、野田の玉川。東京都を流れる、調布 (たつくり) の玉川(多摩川)。滋賀県草津市を流れる、野路の玉川。京都府綴喜 (つづき) 郡を流れる、井手の玉川。大阪府高槻市を流れる、三島(千鳥)の玉川。和歌山県高野山奥院付近を流れる、高野 (こうや) の玉川。

六つの玉川を歌詞に織り込んだり、題材にとったりした、六玉川(むたまがわ)邦楽曲の題名または通称も以下のようにあります。

㋐箏曲 (そうきょく) 。組歌。江戸中期、三橋検校作曲。

㋑富本節。本名題「草枕露の玉歌和 (たまがわ) 」。弘化3年(1846)ごろ、3世鳥羽屋里長作曲。

㋒清元節。㋑を清元に移したもので、後半を4世清元延寿太夫が改編。

㋓箏曲。山田流。明治初年、㋑を初世中能島松声が箏曲に移入。玉川。

㋔長唄。本名題「六玉川琴柱 (ことじ) の鴈 (かりがね) 」。4世杵屋六三郎作曲。文政12年(1829)江戸河原崎座初演。



【六所神社とは】

Wikipediaによると六所神社は、六社神社(ろくしゃじんじゃ)とも呼ぶようです。日本の神社で、この名を名乗る神社は日本全国に存在しています。多摩の六所神社は、府中の大國魂神社です。

この社名は、六柱の神を祭神とすることによる。創建当初から六柱を祭神としていた場合、都合により六つの神社を合祀した場合などがあるようです。令制国の総社の中には「六所神社(六所宮)」という社名のものがいくつかあります。これはその国の一宮から六宮までの祭神を勧請して総社としたことによるものです。このことから、歴史学者吉田東伍は、「六所」とは「六か所」という意味だけではなく、管内の神社を登録・管理し統括する「録所」の意味でもあるとしている。民俗学者中山太郎は、「録所」は墓地の意味であるという説を唱えているとのことです。


府中の大國魂神社の六所神社としての概要は、Wikipediの情報によると以下の通りです。

<Wikipediaより、転載>

大国魂大神を主神として中殿中央に、その左右に武蔵国内諸神、御霊大神を、東殿に小野大神、小河大神、氷川大神を、西殿に秩父大神、金佐奈大神、杉山大神をまつる。

主神は武蔵の国魂、すなわち武蔵の国土の霊で古く国造がまつり、律令体制とともに国司がまつり、古代末期になり、国府に近い本社に国内各神社を勧請し併せまつったために武蔵国総社、また東西殿の神の数より六所宮ともよばれた。

1051年(永承6)源頼義が陸奥の安倍頼時父子を征伐の途次、当社に祈願、凱旋のとき御礼のためケヤキ苗1000株を植えたと伝承し、源頼朝が鎌倉に入って以後は本社を崇敬。1182年(寿永1)北条政子の安産を祈願のため使者を派遣、以後関東武士の崇敬が続いた。


<転載、以上>

小中学校展開編:「六」から学ぶこと

ここからは、小中学生とその保護者向けの展開例です。
基本は、各教科を横断した内容です。数字の「六(ろく、りく)」を展開していきます。


「六」を知る

ふつうに数字を数えるときは、六は「ろく」でしょう。でも、「りく」「む」と読むときもあります。実は日本語での読み方には、「呉音」「漢音」「和音」という三つの読み方がある場合があります。この六の場合の「ろく」という読み方は、「呉音」で「りく」が漢音、「む」が訓詠みです。


その3音の一覧をWikipediaの漢数字に関する情報から、以下に転載して、ご紹介します。

<Wikipediaより、転載>



漢数字には 0 から 9 を表す数字、10 の冪を表す位の字、それらを合わせた複合字がある。複合字は現在では一般的に使われていない。

以下に漢数字を示す。これらの字は零を除き、甲骨文字の時から使われており、意味に変化がない。ただし四と万は字形が変わっている。





<転載、以上>

次に、一般的に漢数字に使われる読み方の「呉音」について、勉強しましょう。Wikipediaからの「呉音」についての説明を以下に転載します。

<Wikipediaより、転載>

呉音(ごおん)とは、日本漢字音(音読み)の一つ。当時の南朝(日本では大和時代)の首都 建康(南京)付近の漢字音をいう。中国語の中古音の特徴を伝えている。

一般に、呉音は仏教用語をはじめ歴史の古い言葉に使われる。

慣用的に呉音ばかり使う字(未〔ミ〕、領〔リョウ〕等)、漢音ばかり使う字(健〔ケン〕、軽〔ケイ〕等)も少なくないが、基本的には両者は使用される熟語により使い分ける等の方法により混用されている。

総説

特徴

呉音は雑多なものを含んでいると考えられ、漢音ほどの整った体系を備えていないが、以下のような特徴がある。

*頭子音の清濁の対立構造を反映し、清音と濁音を区別している。

*頭子音(声母)の鼻音 /n/, /m/ については、漢音がダ行、バ行で伝えられたものが多いのに対し、ナ行、マ行のまま伝えられている。

*末子音(韻尾)、とくに /ŋ/ を表す規則が一定していない。呉音でも -ウ や -イ が添えられることが多いが、公(ク)のように省略されているものもある。双六(スゴロク)のようにガ行音を充てたものもいくらか見受けられる。

/t/ の末子音を持つ入声には -チ が使われることが多い。漢音では -ツ が使われるところである。

*切韻の音韻体系のうち、等呼の違いを一等韻にはア段音を使い、二等韻にはエ段音を使うことで区別している。漢音では両者ともア段音として区別していない。

歴史

漢音を学び持ち帰る以前にすでに日本に定着していた漢字音であり、いつから導入されたものかは明確ではない。雑多なものを含むため、様々な経路での導入が想定される。

仏教用語などの呉音は百済経由で伝わったとされるものがあり、対馬音や百済音といった別名に表れている。

呉音は仏教用語や律令用語でよく使われ、漢音導入後も駆逐されず、現在にいたるまで漢音と併用して使われている。『古事記』の万葉仮名には呉音が使われている。


呼称について

呉音しか読音がない時代には名称などなく、後に漢音が導入されて以降につけられた名称(レトロニム)である。

かなり定着していたことから古くは和音(やまとごえ・わおん)と呼ばれ、平安時代中期以降、呉音と呼ばれるようになったが、これらの語は漢音の普及を推進する側からの蔑称であったらしい。

中国の唐代、首都長安ではその地域の音を秦音と呼び、それ以外の地域の音、特に長江以南の音、首都建康(南京)ではその地域の音を「呉音」とか「呉楚之音」と呼んでいた。


また対馬音(つしまごえ・つしまおん)・百済音(くだらごえ・くだらおん)という名称もあるが、欽明天皇の時、百済の尼僧、法明が対馬に来て呉音で維摩経を読んで仏教を伝えたという伝承によるものである。


音のあいまいさについて

常用字でない漢字音について、漢音はその認定が中国の韻書などの反切資料を中心に行われるのに対して、呉音は日本に古くから伝わる仏典資料や律令などの歴史的史料が中心になるため、その認定が難しい部分があり、各漢和字典ごとに異なっている場合が多い。



漢音と呉音の異なる字のうち、ほんの一例を以下に掲載する。対応が把握しやすいように字音仮名遣いを使って表示した。 前述のとおり、呉音にはあいまいな部分もあり、以下の例も、これが絶対というものではない。



“分類”は厳密さに欠けるものではあるが、参考までに添えた。 「漢音 / 呉音」の形で示している。 * は「いろいろ」というほどの意味。

<転載、以上>

つまり、私たちが普通につかっている数字の読み方は、呉音という読み方で漢音の読み方が伝わる以前の読み方で、漢音が伝わってもしっかり残ったものということになります。もちろん、訓読みも残っています。
訓読みは、Wikipediaによれば、
日本語において、個々の漢字をその意味に相当する和語(大和言葉、日本語の固有語)によって読む読み方が定着したものです。
一般にひらがなで表記される。字訓(じくん)または単に訓(くん)ともいいます。漢字の中国語における発音に由来する「音読み」と対照されます。以下にその歴史をWikipediaより、転載します。


<Wikipediaより、転載>

訓(訓読み)の歴史

「訓」の訓読みは「よむ」であり、詳しくは「ときほぐしてよむ」こと、つまり漢字の意味を優しく解説したり言い換えたりすることを意味する。日本ではもっぱら漢字を日本語に固有の大和言葉(和語)に翻訳することを意味した。このため、和訓(わくん)とも呼ばれた。

『古事記』などでは万葉仮名で古訓による訓注がつけられているが、その訓は一つの漢字に対して複数存在し固定的ではなかった。

平安末期(12世紀)に成立した漢和字典『類聚名義抄』では1字に30以上の訓があるものがみられる。これは漢字がもともと中国語という外国語を表記するための文字であり、日本語の語意と一対一対応しないためである。

このような状況のなか、平安時代中期以降になると、漢文を日本語の語順や訓で読む漢文訓読の方法が発達するとともに1義1訓の形に次第に訓が限定されていき、室町時代には訓がかなり固定化された。

こうして、漢字に固定的な日本語の読みとして「訓読み」が成立することで日本語を漢字で表記することに無理がなくなっていった。


現在、常用漢字も設けられ、訓読みもかなり整理されているが、似たような意味の複数の訓をもつ字が少なからずある。 特殊な例として、
本来は音読みであったものが時代を経るにつれ土着化し訓読みとみなされることが多くなった例もある。「うま」(馬、ma3)や「うめ」(梅、mei2)はその好例とされる。

一つの漢字に複数の意味がある場合は、一つの漢字に複数の訓読みがある可能性がある。もっとも訓読みが多い漢字は「生」とされる。動詞・形容詞・副詞の漢字を訓読みするには送りがなが使われる。

<転載、以上>

一応、漢音についても以下にその定義や概要をWikipediaより、転載しておきます。

<Wikipediaより、転載>

漢音(かんおん)とは、日本漢字音(音読み)の一つ。古くは「からごえ」とも呼んだ。7、8世紀、奈良時代後期から平安時代の初めごろまでに、遣隋使・遣唐使や留学僧などにより伝えられた音をいう。中国語の中古音のうち、唐中葉頃の長安地方の音韻体系(秦音)を多く反映している。他の呉音や唐音に比べて最も体系性を備えている。また唐末に渡航した僧侶たちが持ち帰った漢字音は中国語の近世音的な特徴を多く伝えており、通常の漢音に対して新漢音と呼ばれることがある。

漢音の普及

持統天皇は、唐から続守言を音博士として招き、漢音普及に努めた。また、桓武天皇は延暦11年(792年)、漢音奨励の勅を出し、大学寮で儒学をまなぶ学生には漢音の学習が義務づけられ、また仏教においても僧侶の試験に際して音博士が経典読誦の一句半偈を精査することが行われ、また漢音を学ばぬ僧には中国への渡航が許されなかった。
漢音学習者が呉音を日本なまりの発音として「和音」と呼び、由来もはっきりしない発音として「呉音」と呼んで蔑んだように、漢音は正統の中国語音で発音することが求められたものであった。
このようなレベルの高さから日常語として定着した呉音を駆逐するような力は持ちえず、江戸・明治にいたるまで漢音が一般に普及することはなかった。

江戸時代には漢字を仮名で書き写す字音仮名遣の研究が始まった。その際には日常的に使われていた呉音よりも最も体系的な字音資料をもつ漢音を基礎として進められた。字書や韻書をもとに漢音がほぼすべての漢字について記述されるようになり、漢音で読まれない漢字はほとんどなくなった。

こうして日本語音としての漢音を発音することが可能となり、明治時代、西洋の科学・思想を導入する際の訳語(和製漢語)に使われたことで広く普及することになった。また、和製漢語に使われたことにより、明治期の一時期に漢音での読みが進んだ印象を持たれるようになり、学生を中心に本来は呉音読みする熟語をあえて漢音読みすることが流行した。


特徴

声母

頭子音の特徴として、呉音で鼻音だったものが濁音、濁音だったものが清音となっていることがあげられる。それは以下のような理由による。

ディネーザリゼーション

漢音は当時の長安地方で起こった中国語の音韻変化、非鼻音化現象 denasalization(鼻音の後半部が口音化する現象)を反映している。子音を表す字母である三十六字母の鼻音のうち、明母は[m]から[mb]となり、微母は[ɱ]から[ɱv]、泥母は[n]から[nd]、疑母は[ŋ]から[ŋg]、日母は[ȵ]から[ȵʑ]となった。

漢音はこれを反映して、中古音の鼻音を、馬(バ)、微(ビ)、泥(デイ)、疑(ギ)、日(ジツ)と口音で伝えている。このため、呉音に比べて漢音では鼻音が極端に少なくなっている。ただし、明(メイ)や寧(ネイ)のように韻尾が[ŋ]のものは鼻音のまま伝わり、韻尾が[n]のものも面(メン)や年(ネン)のように鼻音のまま伝わったものが少なくない。しかし、明の新漢音が「ベイ」、寧の新漢音が「デイ」という変化もある。

全濁の無声音化

漢音は、当時の長安で清濁の対立がなくなりはじめていたことを反映していると言われる。このため漢音では中古音の清濁の区別をあまり反映しておらず、呉音で全濁であったものが、清音として伝わっているものが多い。

例えば、婆(呉音:バ→漢音:ハ)、定(呉音:ヂャウ→漢音:テイ)、勤(呉音:ゴン→漢音:キン)、禅(呉音:ゼン→漢音:セン)、従(呉音:ジュ・ジュウ→漢音:ショウ)、胡(呉音:ゴ→漢音:コ)などである。

匣母

三十六字母の匣母で表される頭子音(推定音:[ɣ])は、呉音ではワ行で表されるが、漢音ではカ行で表される。

例えば、和(呉音:ワ→漢音:クヮ)、話(呉音:ワ→漢音:クヮイ)、惑(呉音:ワク→漢音:コク)、会(呉音:ヱ→漢音:クヮイ)、黄(呉音:ワウ→漢音:クヮウ)

韻母

呉音でア段音(-a)とエ段音(-e)に分けられていたものが、ア段音(-a)に統一された。

例えば、呉音で歌はカ、家はケであるが、漢音では両者ともカとなっている。

呉音でア段音+イ(-ai)で表されたもののうち、エ段音+イ(-ei)になったものがある。弟(呉音:ダイ→漢音:テイ)、礼(呉音:ライ→漢音:レイ)。

鼻韻尾の[ŋ]を表すため呉音でア段音+ウ(-au)であったものが、エ段音+イ(-ei)になったものがある。例えば、平(呉音:ビャウ→漢音:ヘイ)、青(呉音:シャウ→漢音:セイ)、令(呉音:リャウ→漢音:レイ)。

呉音でオ段音+ン(-on)であったものが、漢音ではイ段音+ン(-in)、エ段音+ン(-en)に変化したものがある。例えば、隠(呉音:オン→漢音:イン)、勤(呉音:ゴン→漢音:キン)、建(呉音:コン→漢音:ケン)、言(呉音:ゴン→漢音:ゲン)など。

漢音で読まれる仏教経典

仏教経典は原則として呉音で読まれるのだが、天台宗における「妙法蓮華経(法華経)」のうち「安楽行品第十四」や「阿弥陀経」、真言宗で読まれる「理趣経」などは漢音で読まれる。

(例えば「如是我聞」を「ニョゼガモン」と読まずに「ジョシガブン」と読み、「釈迦牟尼仏」を「シャカムニブツ」と読まずに「セキャボウジフツ」と読む、など)

天台宗における経文の漢音読みは、天台宗開宗以来1200年の伝統に則って、上記の2つの経文などは、昔から漢音読みされる。西山浄土宗など、浄土宗西山三派は阿弥陀経を漢音読みする。また、浄土真宗でも一部の法要の場合のみ阿弥陀経を「漢音小経」として漢音読みする。ただし現在の漢音ではなく新漢音読みが入っており、「国」を普通の漢音の「コク」ではなく「クヱキ」あるいは「ケキ」と読んだり、「法」を「ホウ」ではなく「ハ」あるいは「ハツ」、「極」を「キョク」ではなく「キク」あるいは「キ」、「名」を「メイ」ではなく「ベイ」、「百」を「ハク」ではなく「ハキ」、「明」を「メイ」ではなく「ベイ」(場合によっては「ビ」)と読むなどである。新漢音読みは現代にはあまり伝わらなかったが、これらの一部経典の漢音読みでは現代でも使われているわけである。

真言宗における「理趣経」では、この経典の内容が「煩悩即涅槃」を説き、完全に経文の真意を理解しないうちに文面だけを読んでしまうと、単に「男女の情愛」をも肯定しているエロティックな内容との誤解を招きかねない。そのため「わざと漢音で読む」ことによって経文を読みなれた人にさえも聞いただけでは意味をつかめないようにしているという説もあるが、他の経も漢音読みする場合があり、この説は俗説である。

<転載、以上>