あとがきに読み手へのメッセージを読む

連載シリーズ(二)のあとがきーから、以下にそのメッセージを読み解くつもりで以下に部分的に転載します。


<転載部分>

江戸初期の滑稽本に、

国に入ってはまずその法を聞く。

という旅の心得が書かれているが、この場合の法とは、習俗・慣習のことであろう。
私は、かりそめのことながら、別の惑星からきたとして、日本国を旅している。この国の習俗・慣習、あるいは思考や行動の基本的な型というものを大小となく煮詰め、もしエキスのようなものがとりだせるとすればと思い、「かたち」をとりだしては大釜に入れているのである。
選ぶことと煮詰めるのは私のしごとながら、もしよき読者を得るなら、そこから本質的なものを取り出してもらえるのではないか。

(1990年7月)


<転載、以上>


ある意味では、「これが私の考えた日本のかたちだが、あなたなら、どう思うのか」と常に読者を意識しているコラムなのです。「この大釜から、あなたはどんな料理をつくるのか?」とその仕事はあなたの仕事なのだと語る司馬氏が見えてきます。シリーズ(三)のあとがきでは、この連載の1回が四百字詰め原稿用紙で10枚程度のものであることを材料に以下のさらにように読者に投げかけます。

<転載、部分>

一国家の多様な面を一面ずつ切り取ってわずか十枚の容器に詰め込むというのは、私の力量を越える。
もっとのびやかに、たとえば実例や感覚的情景も挿入したほうがいいのだが、それをやると、十枚のタブローをはみだしてしまう。

だから、ずうずうしいことながら、読み手の豊かな想像力にまちたい。
これは、辞書をひいて知ったことだが、英語の象徴(シンボル)というのは、ギリシア語の割符(わりふ、symbolon)からきているそうである。文章というのは割符の一面を書くもので、よき読み手を待って、割符の他の一面が埋められる。それにしても十枚はすくなく、読み手に過当な負担をかけているにちがいない。(後略)
(1992年3月)


<転載、以上>

このあとがきは、1986年の連載開始から、6年目のあとがきです。この頃は、「街道をゆく」の連載も始まり、氏の書きたかった「感情的な情景」や「実例」などをふんだんに取り入れた連載が実現していました。その意味では、割符の一面のような形で読者に投げかけるこの連載は、「読者への負担」と語られるように、「より、その背景を読み込んで、投げかけた要素を元にしっかりと他の一面をつくってほしい」と読者にお願いする姿勢が強くなっているようにおもいます。最初にこのシリーズを読み進んだときも調べれば調べるほど、その深い淵に足をとられ、とんでもなく深い場所まで案内されたものだと感じた読者は、私だけではないように思います。

ただ、知識として、学校の教科書などのように憶える知でなく、そこから、自分の血肉となる情景や感覚となるまで、読み調べることがどんなに大変だったかを憶いだします。

こんな教科書だったら、どんなに毎日が楽しかったかというその当時の感覚が今のこの講座へのきっかけとなりました。シリーズ(四)のあとがきでも時代によって形相が変化するだろう「日本」とその本質を探る旅を今の日本の形相を知っている読者に向けて案内するという以下のような「あとがき」になっています。



<転載部分>


『この国のかたち』の主人公は、国家としての、または地域としての、あるいは社会としての日本である。

「おや、あなたたちは、どこのどなただったかね」
と明治の夏目漱石が、もし昭和初年から、敗戦までの“日本”に出会うことがあれば、相手の形相のあまりの違いに人違いするにちがいない。国家行為としての“無法の時代”ともいうべきそのころの本質の唯一なものが「統帥権」にあると気づいたのは、『この国のかたち』を書いたおかげである。
(後略)


<転載、以上>

小説を書くためもそうだが、その日本への疑問から調べ蓄積された司馬氏の膨大な知恵がこの連載で整理され、日本の本質とでもいう「かたち」で提示された。

私たちは、今直面する日本という形相の中で、この「かたち」を真剣に料理しなければならない。それぞれの風土の中での料理はどんなものになるのか。その力量が試されています。
この「この国のかたち」という教科書は憶えるためでなく、今と歴史の情景の中で考え、読み解く、訓練を余儀なくするそんな教科だという気がするのは、私だけでしょうか。



<この項、了>
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