河合隼雄氏の著作「こころの最終講義(1993年に岩波書店より刊行された講演集「物語と人間の科学」を改題・再編集したもの)」の「アイデンティティの深化」を私が読んだのは、かなり遅く、文庫本の発行された平成25年頃です。この講演は、河合氏が1985年に京都市の社会教育総合センターで「創造的市民大学」の講座で語られてものです。ある意味で市民講座として、河合氏が選んだ主題なのです。

ここで氏が語った「日本人のアイデンティティ」という課題が今回のテーマです。河合氏は、この日本人のアイデンティティを語る入口として、西洋のアイデンティティの確立という話、エリクソンのエゴ・アイデンティティから、話を始められます。
先ず、西洋における「私」の確立=個人主義という「エゴ・アイデンティティ」(自己同一性)を重要視する傾向と日本における「アイデンティティ」の確立が難しいという違いを「私」より「私たち」という“場の論理を優先する傾向”の違いを知っておくことが重要だと語っています。その意味で日本におけるアイデンティティとは、西洋のようなアイデンティティの確立をそのまま踏襲していく教育では困難だという指摘をされています。
さらに、欧米が「父系性社会」であるのに対して、アジア、日本は「母系制社会」ことの違いを知っておくことの重要性を語られています。
このことは、日本での全世代でのコミュニティや社会活動を考えるのに重要な要素です。そして、現在の課題は、「アイデンティティの確立でなく、深化を考えることだとして、その現在の課題を明示しています。」
以下にその部分を転載します。



<転載、部分>

何が「私」を支えているか

ところが私がこれからお話したいのは、そういう(エリクソンなどの)考え方をもっと超えて、あるいはその考え方と異なる考え方でアイデンティティを考えねばならないのではないかということなんです。

その第一点は、さきほど申しました日本人の問題です。
エリクソンの考えを喜んでいるのもいいけれども、はたしてわれわれ日本人は、エリクソンのいうとおりのことはできるのだろうか。おそらくできないだろう。そうしたら、日本人は日本人のアイデンティティということをどう考えたらいいのかということが一つ。

それからもう一つ、これはアメリカの内部ででてきた批判なのですが、非常に面白いことにそれが女性たちからでたのです。

それはエリクソンのいっているアイデンティティの確立というのは、男性の原理に基づいた男性のためのものである。女性のアイデンティティの確立の仕方はそのようなものとちがう。だから女性が男性の原理にもとづいて無理にアイデンティティを確立させようと努力すると矛盾が起きるのではないかという批判でした。

それから、三番目に、これはまだ誰にもいっていません。私が考えていることですが、では老人はどうなるのかということです。

エリクソンのいうように、職業をもって結婚して社会になんとかかんとかというのだったら、年をとって、職業がなくなって、それほど社会と関係しなくなり、家族もみんな死んでいって、一人だけ残った人、この人のアイデンティティはどうしてくれるのか、ここのところが不問になっているのではないか、ということを私は思うのです。


<転載、以上>

そして、こうした課題に関わる話として、柳田国男の御先祖様という話をしています。ある人は、死んでご先祖様になるというアイデンティティをもつこと、ある少女は、誰もが死んで神様になる、おばあさんも月に行って神様になるという死生観をもつという話にいたります。これを「人生における相当な深さや強さを持っている」と評価しているということを語られます。そして、日本人ならではのアイデンティティという課題に関連して、以下に転載した部分で課題解決へのヒントとして、「ファンタジーをもつこと」の重要性を提示されます。

<転載、部分>

ファンタジーをもつこと

そのすごいことというのは、私にいわせますと、この子のファンタジーです。
おばあちゃんも頑固な神様にならはって、月にいるというのは、ファンタジーです。しかし、そのファンタジーがこの子を支えている、というふうに考えますと、われわれはアイデンティティを深めるためには自分のファンタジーをもたねばならない。といって、このこの神様への手紙を読んで、僕もそうしようと思っても、私は残念ながらもそうは思えません。たとえば私の母が、お月さんへ行って婦人会をやっているとは思えない。思えないけれども、「私なりの」ファンタジーはもちうる。
「私なりの」ということをすごく強調しましたが、これが私なりではなくて、すごい天才が出てきて、その天才がわれわれにファンタジーを示してくれて、そのファンタジーを共有しましょうというふうに考えたもの、それは一つの宗教になるだろうと思います。
(中略)
つまり、さっき言いましたように、日本人というのはエゴを確立して、おれがこうやり、こう考えるから、おれはアイデンティティを確立したんだというのではなくて、「私」が考えるというときにはほかのいろいろなものも入っている。そう考えてみますと、私はファンタジーということをいいましたが、ファンタジーということと日本人のアイデンティティというようなことも、どこかでつながってくるのではないかなと私は思っているわけです。


<転載、以上>

私たちは、この河合氏が提起された日本人のアイデンティティという課題の継承を考えました。
まずは、1)のアメリカでも課題提起されたという「女性のアイデンティティ」(自己実現)という問題です。
そして、2)は、老人のアイデンティティという問題です。しかも。それをそれぞれの「そのときどきのファンタジー」として、見つけ出していくという作業を行っていくことと考えました。

ただ、この六部塾では、学習プログラムの設計を
主に2)の老人、高齢者、中年の働き手への学習を核に展開します。
そして、それと連携した形で
1)を視野にした子どもと保護者(母親)、学生への学習へと広げていくように計画しています。

以下の章で具体的に設計していきます。



<この項、了>
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物語プログラム(2):河合隼雄氏の伝えたかったこと