この組織の変遷を知るには、三多摩問題調査研究会の刊行物を辿ることが唯一の市民活動の変遷をしる手がかりとなりました。以下にその流れを追います。会報自体に掲載されるのは、活動後の報告としての意味合いから、期日的には、その以前に検討、討議され、実施されている情報として、ご覧ください。

1973年(昭和48年)の会報誌「研究会情報」から

当初の会報(3号まで)は、「研究会情報」というそのままのタイトルでした。その後、4号「生命と自然を守ろう」、5号「河川の清流をとり戻そう」、6号「住みよい環境をめざして」、7号「新しい市民像をめざして」、8号「地域を見つめ直そう」などと変化し、実際に固定した会報誌名「野川を清流に」と固定するのは、その3年後の1976年の3月15日の28号からです。 ある程度の組織基盤づくりに約3年が経過したと思われます。その3年間の組織に関するトピックを以下にご紹介します。

様々な研究班づくりと市民活動の流れを知る

第2号(1973/9/5)会報から


*活動:「湧水調査」「市民公開地域講座」例会、総会で会則の起草、予算、決算、長短期計画(目標)の検討、夏季合宿の実施決定

*この2号の段階での会員数は32名(主婦、学生、弁護士、公務員など)

*この時点で既に、「野川問題研究班」が設置されていました。


第3号(1973/10/1)会報から

*NETテレビ「東京のこだま」1973年9月24日14:00-14:30「野川のゆくえ」が放送される。取材を受けたのは、平林正夫氏

現テレビ朝日のアーカイブ推進室に当該、放送映像データの貸出交渉中。平林氏にも許諾確認予定。

*小金井の婦人学習グループ「やよい会」での市民活動紹介なども *寄稿:岡村真苗(主婦)、大井節夫(東京大学農学部研究生)

当時の婦人グループ「やよい会」の情報収集予定。さらに上記の野川調査の大井氏の寄稿で当時の野川の状況を学びます。


<大井氏寄稿「湧水の現地調査を終えて」より、転載>

昨春、野川の流れを徹夜で観測した。昼間はどぶ川としか見えなかった野川。それが人間が寝静まるとともに静まりかえり、水が澄んでくる。月の光に映え、何か神秘的な野川であった。
その頃は、野川が何故夜ふけに生き返るか頭の中で知っているだけであった。しかし、この度、60地点以上の湧水調査をつうじて、その原因が湧水であることを知った。飲み水として、洗い水として、ワサビの水として、水田の水として、人間生活に深く結びつきならが湧水が生き残っていた。
そんな中で、ワサビ田の跡に言い知れぬ愛着を覚えた。小石の間をちょろちょろ流れる冷たい清水、飲んでもまだうまい。だた、この水ではもうワサビは作れない。はけのこんもりした林の中に、小砂利を敷き詰めたワサビ田の空間が妙に明るく静かで、淋しかった。


<転載、以上>

60地点以上という調査地点の数の多さもすごいことです。是非、当時の湧水の橋を特定しておきたいと思います。
また、昼間の人家からの排水で汚れる野川が夜中に湧水で澄んでいくという事実が興味深い。当時、既にワサビ田が跡のみで今は、奥多摩で特産となっているワサビが以前は生産できたという事実も興味深いものがあります。今のワサビ田跡は見ることができるのでしょうか?是非、調べてみたいものです。


第4号(1973/10/25)〜第7号(1973/12/15)会報から


*婦人クラブの主催で映画「野川のゆくえ」や「中性洗剤を追求する」などや、例会(小金井市公民館)での「よみがえれ水辺」「小金井の市民文化祭」(東京レポート)などの映画上映や、喜多見での野川観察会(動植物観察、水中生物観察、排水口調査、水質分析)なども実施されたことが記載されています。

*12月の総会では、「野川問題研究班」の外に「自治体問題研究班」の発足準備案の説明という項目も見つけられ、新たな研究班に広がっていったことが見受けられます。
さらに総会の議事項目にも「会則草案の審議、組織編制案の審議」などがあり、まだ組織づくりの初期だったことが読み取れます。



第8号(1974/2/1)〜第17号(1974/12/5)会報から

*1974年になると8号(タイトルは、「地域を見つめ直そう」)では、2月に開催された例会が「合同例会」となっており、野川調査研究班と自治体問題研究班の合同の例会だったようです。

報告されている自治体問題研究班の第1回班会議の討議項目を以下にご紹介します。(これ以降月一回の学習会を進めていく計画が示されています)
9号で案内しているのも3月の合同例会の開催です。この時点で会員は、40名程度のようです。9号では、当時市議会議員だった佐野浩氏(32歳)の住民運動についての投稿も見られます。


1)三多摩の歴史
/紊鬚瓩阿詛戚院行政・企業の変遷過程
⊆由民権運動の潮流が残したもの(明治精神史)
2)水道一元化、流域下水道問題等を軸に自治体変革の可能性を探る

*10号以降の数号は、春でもあり、主に野川の湧水や植生調査調査の内容です。11号では、事務局便りとして、73年夏から継続実施してきた湧水調査の中間発表が4大紙(朝日、読売、東京、日経)やNHKのカメラリポートなどで取り上げられたことを伝えています。

*12号(1974/6/1)に見る活動の拡がり
12号は、「多摩川水系の絆を求めて」というタイトルにも見えるように活動のネットワークを感じさせる報告となっています。


*立川市民会館で6月下旬に開催される「市民集会」の内容も「市民活動リポート」と「協賛団体アピール」となり、多摩川上流の自然を守る会、立川の公害を無くす会、多摩川の自然を取りもどす会のアピールや東大医学部講師の高橋光正氏の「われわれに未来はあるかー健康破壊への告発ー」としています。



<この項、続く>
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STEP2:組織自体の変遷、その後の活動を追う