まず、河合隼雄先生の日本人独特のアイデンティティとしての「組織コミュニティアイデンティティ(西洋のエゴ・アイデンティに対峙したもの)」とそれゆえに課題となる「日本的なコミュニティづくり」について、知るための著作とそれに関連した内容をご紹介していきます。

日本人とアイデンティティについては、まず、このカテゴリーの前の2章での「アイデンティティ」に関する内容をご覧の上、以下の河合氏の著作「中空構造日本の深層」転載した内容を基礎に説明し、まとめた日本の組織づくりについてを説明と課題提示をご覧ください。

1)「中空構造日本の深層」で河合氏が語りたかったこととは?

最初に「あとがき」を読むのも変なのですが、この著作の各章の位置づけを的確に説明していただいているので、最初にそのあとがきの一部を転載して説明してみます


<「中高構造日本の深層」ーあとがきーより転載>

(前略)
筆者は心理療法の専門家であり、あくまで個人を相手とし、個人の問題を掘り下げてゆくのであるが、前著(「母性社会日本の病理」)の「あとがき」にも述べたとおり、それが意外と普遍的な問題へと突き当たるのである。
したがって、あくまで個人的な臨床体験を基礎とするものではあるが、ひろく文化や社会の問題に対しても発言してきた。そして、それは、結局のところ、日本人としての自己実現の道に関する関心への焦点づけられてくる。そのような観点から、前著では、日本人の母性優位性に注目して論じたのである。
本書においては、日本人を欧米人と比較するかぎり、その母性優位は明らかであるが、アジアの諸国などと比較する場合、むしろ、日本は父性と母性の均衡の上に存在しているとみる方が妥当かとも思われるので、「中空構造」を強調する方向へと論旨が変化している。
この「中空構造」は、日本の現状の記述としても考えられるし、また、一種の理想型を示すものとしても受け取られるであろう。「中空構造」として提出したモデルについての詳細な吟味は、今後も是非、続けてゆきたいと思っている。
(攻略)


<転載、以上>

このあとがきは、1998年12月に書かれたものなので、その後の氏のこの「中空構造」に関する著作は、また、別途ご紹介します。ここでは、その基本となる考え方を第1章の3項目目の「中空構造日本の危機」の中からの転載を素材にご紹介していきます。

<「中空構造日本の深層」第1章の3「中空構造日本の危機」より、以下に転載>

(前略)
日本的「中空構造」
母性はすべてのものを全体として包み込む機能をもつのに対して、父性は物事を切断し分離してゆく機能をもっている。ヨーロッパにおける父性の優位は、人間が自己をたの対象から分離し、対象化して観察する能力を人間にもたらし、それが自然科学の知へと発展していった。そして、自然科学を中核とする西洋近代の特異な文化は、世界を支配することになった。

そのとき、アジア、アフリカの諸国のなかで日本のみが、ヨーロッパの近代文明の取入れに成功したが、それは完全な西洋化を意味しているものではなかった。欧米諸国が現在体験しつつある多くの行き詰りは、彼らがあまみりも父性の優位を誇りすぎ、母性を断ち切りすぎたからであるという見方も可能である。そのとき、近代の先進国のなかで日本のみが近代化の歪みをあまり受けていないように思われ、その点が最近とみに日本礼讃という形で示されているが、こいれは、日本が西洋の近代文明を取り入れつつ、母性的なものを保持し続けてきたからであると考えられる。
この点は後にも述べるとおり、一長一短であり、手放しの日本礼讃もどうかと思うのであるが、この点から考えると、日本は母性優位というよりは、父性と母性のバランスの上に築かれているという方がより妥当なように思われる。欧米との比較において、日本はむしろ母性社会というべきであるが、アジア、アフリカの諸国なども考慮に入れるとき、日本は不思議な中間状態にあるというべきである。

父性と母性のバランスの上に築かれた日本の文化、社会の構造のモデルを提供するものとして、筆者は、『古事記』神話の構造を考えている。神話は国家や民族のアイデンティティを支えるものとして、特に我が国の場合は、天皇を中心とする国家成立のの支柱とするための意図をもって、それが作られたことは周知のことであるが、にもかかわらず、その深層構造は、日本人の存在の様相の深層を反映するものとなっていると筆者は考える。
この点については既に前章で述べたので、繰り返さないが、筆者の指摘した日本神話における中空構造は日本人の心性を理解する上において、極めて有効なてがかりを与えてくれると思われるのである。
(中略)

このような中空均衡状態は、キリスト教神話のような唯一絶対の男性神を中心とする構造と比較するとき、殊にその差が明らかになるであろう。それは中心に存在する唯一者の権威、あるいは力によってそべてが統合される構造をもっている。統合によらず均衡に頼る日本のモデルは、中心は必ずしも力をもつことを要せず、うまく中心的な位置を占めることによって、全体のバランスを保つのである。このような西洋と日本のモデルの差は、両者の比較において、日本人の心性のみでなく、政治、宗教、社会などの状態を考える上で適切な示駿を与えてくれる。

例えば、ある組織における長の役割、その在り方などについて考えてみると、西洋の場合は、それは文字通りのリーダーとして、自らの力によって全体を統率し、導いてゆくものである。
これに対して、日本の場合の長は、リーダーというよりやむしろ世話役というべきであり、自らの力に頼るのでなく、全体のバランスをはかることが大切であり、必ずしも力や権威を持つ必要がないのである。
日本にも特にリーダー型の長が現れるときあるが、多くの場合、それは長続きせず、失脚することになる。日本においては、、長はたとり力や能力を有するにしても、それに頼らずに無為であることが理想とされるのである。このような点は、日本の歴代の首相などを見ても、ある程度了解されるであろう。

中心による統合のモデルは、西洋における自然科学の長くの発展に大きく寄与したと思われる。合理性という原理を中心に、矛盾を含まず論理的に整合性をもつ体系を樹立することによって、自然科学は大いに発展したのである。
しかしながら、このようなモデルは自分の体系と矛盾するものはすべて組織外に排除する傾向をもっている。従って、その矛盾を許さぬ統合性は極めて強力ではあるが、反面、もろい面を持ち合わせている。そして、それは常に排除した対象と戦い、あるいは、それを抹殺する意図を継続するために、強力なエネルギーを必要としている。


<転載、以上>

さらにこの次には、日本型モデルとしての「中空構造」の短所を指摘されます。

<転載部分>

(前略)
そこでむしろ、その短所の方を指摘するならば、その中空性が文字どおりの虚、あるいは無として作用するとこは、極めて危険であるという事実である。
例えば、最近、敦賀の原子力発電所における事故にまつわるその無責任体制が明らかにされたことなどは、その典型例であるといえるだろう。(中略)
日本の近代的組織は、時に驚くべき無責任体制であることを示す事実は、枚挙に遑がないであろう。
日本的中空構造のマイナス面を示すもののひとつとして、現在の若者たちを把えている無力感、無気力などをあげることができる。もちろん、このことは日本だけでなく先進国における共通の悩みともいえるのだが、やはり、日本的特性としてあげられる面をもっている。
われわれ臨床家が、このような無気力症の若者に会うとき、その中心の無さに触れて、中心の喪失というよりも、もともと無かったものが急激に「無」ということを意識させられているように感じられるのである。いわゆるスチューデント・アパシーといわれる学生たちの中には、アルバイトなどには熱心でよく働くのだが、中心となるべき学業に関して全く無気力であり、何よりも自分の存在の中核部分が空虚であるという感じを強くもつものが多い。
(中略)
彼らを「正常」に戻すために、人生の目標が生き甲斐とやらを「与えてやろう」とする幸福な人は、底知れない空虚な冷笑の前にたじろぐことになるであろう。このような若者にわれわれがどのように接してゆくかは、本論外のことなので触れずにおくが、その病根は極めて根深いものであることを指摘しておきたい。


<転載、以上>

さらに、次には、中心への侵入者という項目を設けて、日本型モデルの課題、問題、注意すべき内容を以下のように述べられています。この内容もこれから様々なコミュニティづくりを考えていこうとしている方々にとっては、重要な課題なので、是非、知っておいてほしいことです。

<転載部分>

日本的中空構造の利点と欠点にすいて述べたが、それは次のように言い換えることができるであろう。すなわち、中空の空性がエネルギーの充満したものとして存在する、いわば、無であって有である状態にあるときは、それは有効であるが、中空が文字通りの無となるときは、その全体のシステムは極めて弱いものとなってしまう。
後者のような状態に気づくと誰しも強力な中心を望むのは、むしろ当然のことである。あるいは、中空的な状態それ自身が、何者かによる中心への侵入を受けやすい構造であると言ってもよい。ここに中空構造を維持することの難しさがある。


<転載、以上>

そして、この中空の無に「父権の復活」と叫ぶ輩の存在の危険性を以下のように指摘されます。


<転載部分>


(前略)
つまり、日本人が今問題とすべき父性は、単に肉体的な強さとか、戦争中に叫ばれた「大和魂」的な強さでなく、ここに示したような、(西洋的な)合理的に思考し判断し、それを個人の責任において主張する強さなのである。それはいわゆる「大和魂」を打ち破った精神なのである。

しかしながら、「父権復興」を叫ぶ多くが考えているのは、日本的な父性、あるいは母性的集団とも言うべき日本的軍隊の復活ではなかろうか。今時の弱い、あるいは身勝手な若者を徴兵によって「鍛えてもらおう」などと考えている人は、自ら父親の強さをもつことを放棄し、それを集団にまかせようとする、極めて母性的な発想を抱いているのである。
(中略)
徴兵制復活とまでは主張しないにしても、父性の弱さをスポーツの振興によってカバーしようと主張する人もある。しかし、この際もスポーツの質についてよくよく検討する必要がある。
現在のわが国においても、スポーツの練習を合理的に科学的に行っているひとたちもいる。しかし、たとえば高校野球の大会などを見ている
もちろん日本人の代表だから仕方ないとは言うものの、あまりの母性集団の戦いであるのにウンザリすることが多い。
スポーツによって「精神」を鍛えるというのだが、その「精神」は著しく父性をかいているのである。野球部員以外の生徒が起こした不祥事によって、野球部が連帯責任とやらで出場低k氏される考えは、西洋のスポーツマンにとっては、不可解のことであろう。母性集団では、個人の責任は極めて曖昧であるが、連帯はどこまでひろがるか判断が難しいので、連帯責任は途方もなくひろがっていくのである。


<転載、以上>

そして、中空構造の欠点である中心への侵入を許しやすい点については、その中心となるものが存在するが、それは全く力をもたないといシステムが有効だと提案されています。当然、天皇制にもふれ、その意味と存在の要素をよく考えていく必要があるともされています。ただ、戦時中のこの天皇の中心性を利用した影の権力者の中心への侵入という歴史の危険性を強調されてもいます。そして、以下のように指摘されます。


<転載部分>

我々は、影の権力者たらんとする人が、どのような意図をもっているかについて鋭い監視の目をもたなければならない。なお、これらの中心への侵入を企てる人々が、自分たちの行為を正当化する論理として、外敵の侵入を防ぐために、われわれは強力になるべきだという「侵入」のイメージを用いることが多いのは、極めて興味深いことである。この人たちは、外敵の侵入の可能性を、本当にどの程度にまで信じているのか、あるいは、それをどの程度にまで立証して見せられるのかについて、われわれは良く知らねばならない。

<転載、以上>


そして、最後を「意識化への努力」という項目で「名案も近道もない」と述べられた上で、以下のような言葉でまとめられています。


<転載部分>


「西洋的な目によって批判するのではなく、日本の現状をともかく的確に把握する」
「個々の人が自分の状態を明確に意識化する都力をこそ積み上げるべきであろう。これは遠回りの道のように見えて、実は最善の道と考えられるものである。
そのような意識化の努力の過程において、中空構造のモデルは、ひとつの手がかりを与えてくれるものとなるであろう」


<転載、以上>

六部塾では、こうした視点で、それぞれの学習、コミュニティづくりへの計画を進めていきたいと思っています。もちろん、この後の河合氏の中空構造に関連する著作もご紹介していくつもりです。

<この項 了>
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