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法学基礎の解釈から生まれた諸派「回教法学正統四学派」とは

発生、消滅を繰り返してきた諸学派の中で現在まで相当な勢力を保ってきたもの、として回教法学正統四学派を以下のように説明されています。


<イスラム思想史より、転載>

第一は、ハニーファ派である。

この派は西暦八世紀、アッバース家時代の初期にペルシアから出た有力な神学者アブー・ハニーファの創始にかかり、極めて理論的思弁的であって論理的操作(第四の基礎キヤース)を重要視し、少なくとも初めの内は非実践的であった。現にトルコ・中央アジア及びインドの一部に行われているものはこれである。

第二はマーリク派でこれは西暦八世紀メディアに出たマーリク・イブン・アナスの興すところである。
元来メディナ市はハディースの本場であるから、当地出身のマーリクが特に第二の基礎たるスンナを尊重したことは当然である。而も彼はアブー・ハニーファの如き理論家ではなく、実際にメディアで裁判官をしていたから、その学風は著しく実践的である。現にこの派は上部エジプト、北アフリカ全部に絶大な勢力を有し、嘗てスペインが回教国であった時代には、スペインもやはりマーリク派であった。

第三はシャーフィイー派である。
この派の創始者は、ムハンマド・イドリース・シャーフィイーといい西暦八世紀の後半から九世紀の初頭にかけてバグダード及びエジプトに活躍した大法学者で、その特徴はキヤースの使用を局限し、いささかたりとも個人的解釈の色あるものは悉くこれを排除し、更にイジュマーの範囲を或る一定時代の全回教国の学者の総意にまで拡大したところにある。此の派は、南アラビア、バフライン島、中央アジア、ダグスタン、それにマライ東インド諸島の全部、フィリピン等に勢力を有する。

第四はハンバル派といて、西暦九世紀の神学者アフマド・イブン・ハンバルの創始せるものである。
彼がバクダードにいた頃は丁度神学の方ではムウタズイラ派の全盛時代で、時のカリフたるマアムーンまでこれを支持し、思想界は合理主義的思潮の跋扈跳梁するにまかせていた時代であるが、アフマド・イブン・ハンバルは敢然として此の合理主義的思想傾向に反抗し、あらゆる恣意的論理的要素を全イスラムから駆逐し、ただ、コーランとスンナのみに還らんとした。如何なる迫害に逢ってもいささかひるむことなく、如何なる権力をも恐れることなく、死を賭して自己の正しいと信ずるところを守り続けた誠に悲壮な生涯の奮闘は空しからず、俗衆の絶対的支持を受けて合理主義崩壊の端緒を開き、法学派としては十五世紀頃までメソポタミア、シリア、パレスティナ等に強力な力を有っていたが、オスマントルコの起こるに及んで次第次第に圧迫され、減少の一路を辿っていった。

以上の四派が現在まで残存せる主なもので、それ故この四つは回教正統派四派とされている。従って正統派の回教徒はその中の何れに属していても全く同等であり、一派から他派へ移ることも自由である。
現に十二世紀初頭の神学者ムハンマド・イブン・ハラフの如きは、初めはハンバル派に属していたが、後にハニーファ派に転じ更に次いでシャーフィイー派に移ったので「ハンファシュ」という綽名をもらったくらいであった。
「ハン」はハンニバルのハン、「ファ」はハニーファの「ファ」、「シュ」はシャーフィイーのシュである。だから同一家族で父子、兄弟が夫々別の派に属していくようなことは極くあたり前で無数に例が。


<転載、以上>

そして、その後の回教の変化を
1)「スンナ」に還れという十四世紀のイブン・タイミーヤの復古運動
(民衆の意志の表現ともいうべきイジュマーを認めたことで異端とされるものも一度民衆の間に広がるといつの間にか公認されてしまうということが十四世紀までに進んでおり、特に回教信仰の中枢部にまで入ってきてしまっていた預言者及び聖者の崇拝という異端的要素がその原因でなぜなら回教はその成立の根本において峻厳な一神教であって、神の他何物も拝してはならなく、唯一の神の他に何か人でも物でも崇拝すれば、それは「シルク」といって回教の教義上では最大の罪となるためでムハンマド自身やその墓、ひいては「ワリー」と呼ばれる聖者の崇拝にいたっては、そうした傾向が顕著に現れてきていた)
2)その運動を継承した十八世紀のワッハーブ運動
さらには、3)アリーとアーウィアの対立とその結果による回教最初の政党たるハーリジー派の成立
(これは、始祖ムハンマドが自分の後継者を指定せずに死んだことが原因の後継者をめぐるイスラム世界の分裂を生んだ)

これらの流れから、現在の後継者アリーを神聖視した、現在では回教史上最大最強の党派となった「シーア派」の誕生とその宗教思想を以下のように説明されています。


<転載、部分>

シーア派の中心点は何かというと、それは正統派のカリフ(ムハンマドの後継者)なるものを否認し、そのかわりに回教の合法的統治者として「イマーム」というものを立てるところにある。
第一のイマームは勿論アリーである。イマームとはアリーの血筋を引く人で神意によって時の全回教徒の聖俗両方面における絶対的主権者たる者である。一体回教の協議では、カリフは回教国の立法権司法権及び兵権を代表する俗人であってキリスト教のラマ法王などとは大分意味が違うのである。然るにシーア派の言うイマームは第一に聖権の持ち主である。


彼は、神がその裡に置き給うた特別なる神的性質によって、一般の人間とは全く性質を異にする神聖な存在である。
彼らの説によると、神がアダムを創造したもうたとき、一種の聖なる光体が生じ、これが特に神に選ばれた人に代々伝わって、遂に預言者ムハンマドの祖父まで来た。そこでその光は二つに分岐し、一はムハンマドの父を経てムハンマドに伝わり、他はアリーの父を通ってアリーに入り、アリーから代々のイマームに伝えられてきたのである。此の不可思議な光は世々モーゼ、イエス等の預言者を通ってアリーの血筋に流れ込んだのであって、この光によって結ばれる者は全て特別な超人的な系図を形成しているのである。


<転載、以上>

シーア派の詳細は別途に譲るとして、この後、井筒氏は、「以上、徐述し来った思想潮流はいずれもその源を政治的事情に発するのであるが、これとは別に始めから純粋に宗教的思想的なもう一つの潮流がこれ等と並んで発展しつつあった。これが後に回教思想の最も重要な要素たる思弁神学(アラビア語で「カラーム」)となるところのものである」として、その説明を続けています。
この項では、説明をここまでにし、思弁神学については、後の項目で述べていきたいと思います。


<この項、了>
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