この文化論の成り立ちを推し量る

氏の文化論の面白さ、醍醐味の一つは、どんな人々がその文化論を構成しているかにあります。「なぜ、この人たちなのか?」単純でいて、このことがその文化論の全てでもあるような気もします。
では、芸術(創造)では、どんな人たちが並んでいるのか?通常は、芸術のジャンル別の権威、トップの人たちがその芸術分野の課題と芸術論を述べる、それを並べて、総論をまとめると考えるのが普通かもしれません。でも河合氏の文化論は、ちょっと違うようです。以下の目次にある論者の方々はどのような方々なのか、考えていきましょう。

同文化論の目次から、読む

「肉体と創造」横尾忠則>画家
「いまこそ原色だ」荒木経惟>写真
「日本語で小説を書くということ」村上龍>小説家
「群衆について」蜷川幸雄>舞台演出家
「美術における“マナ”さんと“カナ”さんのこと」森村泰昌>美術家
「素粒子」勅使河原三郎>舞踏家・演出家
「現代芸術論ー創造者の立場にたって」梅原猛>哲学者
「歌舞伎のゆくえ」中村歌右衛門>歌舞伎俳優
「バッドテイスト復権計画」荒俣宏>翻訳家・評論家
「シュールな日本ー引き裂かれた現代性」岡崎乾二郎>造形作家
「日本の詩はどこへ行くかー六つの言葉と十二の変奏」天沢退二郎・吉増剛造>詩人
「現代人と芸術」河合隼雄


この中で芸術家以外の人選は、荒俣宏さんですが、厳密には、新作・歌舞伎の脚本を書いたとして創る立場を表明はしているものの、河合氏を日文研に誘った、元同所長でもあり、歴史学者、哲学者である梅原猛氏でしょう。
最後に全体を河合氏がまとめるのは、この文化論集(他の巻を見ると)の形でもあるので、最後は、そのあとがきともいえる氏の見解が最も重要な視点となることはいうまでもありません。

各芸術分野の創り手がその現代的な課題を提示する形式であることは確かです。ただ、ひたすらに自らの芸術を追い求めるというよりは、その難しさ、課題を形(言葉)にしてくれる存在でもあるのは、多分、これらの方々の著作や文章を読まれてのことのように思われます。
ただ、やはり最初に登場する「横尾忠則氏」は、序章という意味でも鍵となる論であることは予想されますので、注意して読みたいものです。

さらに芸術論を評論的にまとめられているのは、梅原氏と荒俣氏ですが、このお二人の考え方も一応、上げておく必要があるという視点があるようなのです。その点に注意をして、読んで見ることが必要です。

それでは、以下の項目にて読み解いていきましょう。


<この項 了>
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