1)ウィルス感染の温床「公教育での科目教育」を知る

まず、この項では、高校以前の義務教育での「科目」と高校での「科目」、その後の大学での「教養科目」から、何を教えられたかを発見していきます。いまさら、義務教育での科目を再度、数えあげたり、高等学校での全教科は、いうまでもないかもしれません。「国語」「古文」「英語」「数学」「理科(化学・物理・生物)」「社会(地理・歴史・政治経済)」「技術・家庭」「体育」「音楽・美術」(最近、加わったものでは、「道徳」「公民」「総合」)などです。

これらの科目とは一体何なのでしょう?「大人になり、自立して、幸せに生きていくための学問?」でしょうか?誰がそんなことを決めてきたのでしょう?もちろん、ご存じにように国、文部科学省です。偉い、教育分野の先生方が頭を寄せ合って、審議し、検討し、選んできた科目なのです。本当にそうなのでしょうか?

今、良き働き手の育成が叫ばれるようになるといきなり「プログラミング教育」や「外国語教育」「科学教育(STEM教育やPBL教育)」が科目として加わったり、強調されたりし始めます。

世界で一流の基礎研究と科学技術の発展を推進することが国策といわれます。
そんな中で幸せな大人として自立するためには、こうした学問を納め、一流企業に就職することでしょうか。兎に角一流企業に就職して、出世したいという学生を増やそうという格差拡大に向けた国の思惑が形になってきています。このことが現政権の「幸せな社会づくり=国造り」の前提となっているのが良く分かります。
ほんとうにそれでいいのでしょうか?国の号令は、「世界に負けるな」ということです。
いかに世界と共存していくのかという話ではありません。世界を圧倒して、日本を強い国にすることが「幸せへの近道」という考え方がその基礎にあるのが分かります。

私たちは、大学教育で「教養科目」というものを通じて、この常識に異議を唱える方々(内田樹さんを始めとする教育関係の研究者)がその著作(「街場の教育論(2008年刊行)」など)の中で、大学教育における「教養科目とは」「リベラル・アーツとは」を現在の教育の大きな課題として提起されたことがありました。2000年、21世紀の初頭でした。もう、二十年以上も前のことです。
そのことをこちらにまとめました。一度、読んでみてください。この考え方は、実はほとんど現状の大学教育では、姿を消しつつあります。その考え方を知った上でまだ、この項目に戻ってみてください。


このサイトでの公教育で進められてきた教科教育における課題は、そこを入り口に、始まります。


2)ウィルス感染の温床「公教育での科目教育」は「教養教育」なのだろうか?


前の章で見ていただいた「教養・教養教育」についての結論は、簡単に言うと、「教養教育は、他者とのコラボレーション・コミュニケーションを学ぶ教育」という定義です。大学でいきなり、こんな教育が始まるのです。不思議です。公教育における基礎教育にこの「教養」概念がなく、いきなりこんな教育が始まるのでしょうか?それとも、公教育における「必須科目教育=教養教育」と考えられているのでしょうか?

私は、後者であるべきだと思っています。つまり、その視点、基礎で「科目教育が設計されているべき」と思っているのです。実際にはそうなっていないのが大きな問題なのです。

この「教養教育=他者とのコミュニケーションのための教育」という視点で、公教育の科目教育を見直すのが本カテゴリーのプログラムの主目的です。しかし、このことは今までの公教育とはかなり違っていることがわかりますでしょうか?例えば、基礎科目である「国語」「数学」などが「他者とのコミュニケーション」などという要素で語られることがあったかを考えると容易にその違いが分かります。

では、一体、「何を変えていくことになるのか?」「何を変えなければならないのか?」が鍵となります。

次の項目では、まず、今までの公教育では全くといっていいほど、視点が向けられていなかった「コミュニケーションすべき他者」を考えていくことから、進めていきます。


以下に続く項目では、新たな公教育プログラムを設計に向けた、「教える側の視点の転換と改革の方法」をご紹介していきます。


<この項 了>
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その2:他者とのコミュニケーションを学ぶための教育としての公教育での他者とは?