公教育(小学校から中学校までの義務教育)でコミュニケートすべき「他者」とは?

簡単にいっていますが、そんなことが考えられたことはないのが今の義務教育です。「知識を詰め込むこと」とこの「他者とのコミュニケーション」の間には、明らかに大きな違いがあります。しかし、このことなしには「知」が意味をなさないという事実を完全に忘れ去っていることが実態なのです。大学で専門課程に進み、他の分野、人々とのコミュニケーションなしに学問が進まないのと同様に、民間で働くことになって、職場で「職業教育」へといたっても状況は全く同じなのです。ある意味そこでこそ、それまでにいかに「他者とのコミュニケーション」を学んでこられたかが「知」の評価になるのです。

このことに反対する人はいないはずです。なのに誰もそうした教育への視点を設定することをしてこなかったというのが現実です。

1)他者を設定する

先ず、義務教育段階での「他者」を考えていきます。いままでの教育では、教室に一緒にいる仲間(学校の同級生と一部他学年の生徒や教員)がかろうじて、他者として視野に置かれていました。ただ、それほど「教育の現場」でその他者とのコミュニケーションを学ぶという目的は設定されていませんでした。この対象が第一段階での他者です。

もちろん、実はこれだけである筈は、無いのです。子供たちの生活の中では、「両親」「兄弟姉妹」「祖父母」「近隣の地域住民」「親戚縁者」も重要な他者なのです。これが第二段階の他者です。

さらに「知」の交流に欠かせない他者がもう一つあります。「教師」を知をメディアを通じて提示する繋ぎ手=メンター」というベクトルで捉えた場合、そのメディア(本、映像などの媒体)を通して、知が提供され、学ぶ相手「知の提供者」となる他者ももう一つ「第三段階の他者」となるのです。メディアは「もの」ではなく、それを通して、その向こう側の「知」との入口に過ぎなく、教師はそのガイド役に過ぎません。その他者とどのようにコミュニケーションしていくかも重要な要素となるのです。ある見方では、この他者が第一段階の他者といえるかもしれません。
なぜなら、この「第三段階の他者」は第一段階や第二段階の他者と重なることもあるからです。親、祖父母、教師、友人から学ぶということもあるからです。

この「3つ段階の他者」とのコミュニケーションを学ぶことが義務教育という生きていく上での「六部塾」での最初の基礎教育となる筈です。


2)「教科」を読みなおす

この作業は、1)の他者とのコミュニケーションを学ぶという視点で今までの「義務教育における教科」を検証して、その課題を明らかにして、再度学び直すプログラムを設計するという作業です。このカテゴリーでは、その方法を特定の「教科」を事例にして、説明していきます。

「全教科」は具体講座編で実施します。
とりあえずは、
1)課題の多い「道徳」、
2)STEM教育などで今先端と言われる「数学」「理科」などのアクティブ・ラーニングと
3)より、文化的な側面から、このサイトの先人の知恵との連携がしやすい「公民・歴史」
など

の事例を具体的な地域としては、「小金井地域モデル」にて、以下の項目にて展開してみようと思います。


3)「地域の社会教育」を担う層の学び直しが必要?

「必要なのです」

実はウィルス対策の鍵は、教える側(ウィルス感染を治療する側、教育という医療の従事者です)の感染の治療にあります。

感染している教育従事者では、治療は難しいのです。先ず、この教える主体となる地域住民の治療が前提となります。公教育の教育従事者にはウィルスが国(文部科学省や内閣府)からの感染蔓延しているので隔離の上、完治してから教育に従事することが必要です。

その上で、20年前に本来的な意味で故河合隼雄先生などの有識者から提案され、その後の中教審や文部科学省、大学の教育専門機関などで読み違えられ、書き直され、改悪されてきた地域主導の教育「コミュニティ・スクールづくり(現状の地域学校協働本部推進によるものでは不可能です)」の見直しをし、現状の感染蔓延を前提にその計画を進める必要があります。

この計画はそうした前提に立っています。社会教育における「大人の地域住民の学び直し(地域社会教育の改革)=風土知創生を基盤とする地域改革」を並行して行うことがこの治療の前提となります。



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