第二章「朱子学の作業」で試みる「教科横断」は、「歴史」と「道徳」へ

1)教科横断は、どの科目で可能かを考える

この第二章は、幕末から、明治への転換期に宋学・朱子学における「尊王攘夷」がどのようなもので、日本の歴史でどのような結果をもたらしたのかを司馬氏が語った章です。

こうした理解から、日本の歴史教育のこの当該時期の中で、教えるのが普通だと思われるのではないでしょうか。

結果、「幕末篇」とでもいう項目を作って歴史授業での展開をというのが本来かもしれません。しかし、六部塾では、あえて、この章が今の公教育で成しえなかった「教科横断(総合学習などで実践されているといわれるかもしれません)」を可能にする貴重な「章」だと考えてきました。

その横断を可能にする教科が「歴史」と「道徳」です。

多分、司馬先生なら、現状の文部科学省の指導要領における「道徳」の教科資料を読めば、びっくりして、この考えに賛同してくれると思えます。もちろん、別カテゴリーの「河合隼雄先生」の文化論における「道徳」の項目からの展開も含めて、新たな教科横断を実現する「コンテンツ」として、この第二章「朱子学の作用」を取り上げてみたいと考えました。


さらには、白井静氏の漢字学での「漢字理解」も含めながら、このコンテンツを進めていこうと思います。

2)公教育と「朱子学の作用」の距離、適応の二通りの方向性

この公教育の「見直し」、「再学習」には、進め方には、二通りの方向があります。

ひとつは、現状の「道徳」という教科で教えている内容を知った上でそのコンテンツとこの「朱子学の作用」の意味するところとの距離を測り、何がこの「道徳という教科」に欠けているかを見ていく方法です。

もう一つは、先ず、この「朱子学の作用」で司馬遼太郎氏が伝えたかった幕末期からの日本での朱子学の影響を学びます。その上でそうした日本における儒教の影響をどこまで現状の「道徳教科」での学習に反映できるかを探る方法です。
具体的に、現状の「教科」の指導要領などの中から課題、問題点を探し、その解決への可能性を模索することで何を「教科」を見直す、修正して教えることができるかを学ぶという方法
です。

これは、第一章の「この国のかたち」を中学校の歴史教科の授業内容において適用した方法です。
この方法は、歴史という側面で容易に第一章を教科書の中の章に充てやすいという側面があったので採用したものです。

この章では、そうした方法を取らずに、あえて最初の方法、
「道徳教科」での現状の教育指導要領や現状の教科書を先に調べた上でその内容との距離を測りながら、第二章の意味を明らかにしていくことを目指しました。

なぜなら、実際の「道徳」という教科の構成、指導内容が実際には、教室での展開などが想像がつかないというこちら側の事情があったからです。

一体、小中学校の現場では、どのように「道徳」なる教科が教えられているのか、どのように教えられようとしているのかは、簡単なようでいて、把握が難しいのではないかと思えたからです。

なにより、教える側の大人、教師たちにとって「道徳」という概念はどのようなものになっているのかという大きな疑問がありました。
教えられる側にとっても「道徳」とは容易に描ける世界とは思えなかったからです。

大人にとっての「道徳」。あなたにとっての「道徳」を描き、それを子どもたちに教えるのはそんなに簡単なのか?という感覚から、この方法を選びました。

学校教育以前の家庭教育で、漢字や数学を教えるのとは違い、そうした教育が子どもたち(小中学生)にとって、どうあるべきか。

それには、様々な方法があるように考えられる中、どうしてこうした「教科内容」に行き着いたのかを歴史的な視野も含めて、考察していくことが先ず必要でした。


以下、順を追って、「道徳教科」の今、そこで到る流れを知り、その上で「朱子学の作用」との距離を測ってみたいと思います。


<この項 了>
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