「私たち(わたしたち)の道徳」に文部科学省の道徳教育の形を読む
1)道徳教育の入口としての小学校1-2学年の「わたしたちの道徳」を読み解く
最初は、家庭教育・幼稚園からの生き方としてのマナー教育からの展開となる小学校1-2年の初めての「道徳教育」を「わたしたちの道徳」から読み解いていきます。
まずは、「わたしたちの道徳」の構成を知るためにその目次を以下にご紹介します。
<「わたしたちの道徳」1-2学年の目次を転載>

<転載、以上>
こうした道徳の教科書の構成に慣れている方も多いのでしょうか。
基本の構成は、
「準備編:この本の使い方と自分のことを話す」
「本編:様々なテーマに合わせた道徳にまつわる読みもの=物語」
「意見表明編:自分の意見を表明し、教室で話し合う」
という3部構成なっています。
ここで直ぐに「小学校の道徳教科書の構成との共通点」に気づく方は、既に道徳教科の学習を或る程度知っている方でしょう。
なぜなら、教科書は、この本の内容構成はもちろん、その事例とする「お話」までも同じように採用し、構成することで、「教科書選定」されることを実現しようとし、その内容に従っているからです。実際にどの程度、この本の内容、「読み物」やその他の文部科学省の資料として提示されている「読み物」がそのまま、ほとんどの教科書に採用されているかは、以下の一覧をご覧いただくと明確です。
<「教育って何だろうこがねい連絡会」の教科書採択・道徳教科内容に関する講演資料より、転載>

<転載、以上>
大事なことはこうした教材までも管理指定する文部科学省なのですが、この項では、それぞれの「読み物」がいかに「道徳」という教科で総則で語られた5項目に従って準備されたものかを把握することです。その上で、司馬先生たちが、日本が歴史下で「儒教・朱子学」で語りたかったこととどのように異なっているかを知ることにあります。
「修身」で設計された明治・昭和と形作られた教育が、文化として日本におけるモラル、道徳といかに異なった内容になってしまったか、しかもそれは今も続いていることを理解することです。
<この項 作成中>
1)道徳教育の入口としての小学校1-2学年の「わたしたちの道徳」を読み解く
最初は、家庭教育・幼稚園からの生き方としてのマナー教育からの展開となる小学校1-2年の初めての「道徳教育」を「わたしたちの道徳」から読み解いていきます。
まずは、「わたしたちの道徳」の構成を知るためにその目次を以下にご紹介します。
<「わたしたちの道徳」1-2学年の目次を転載>

<転載、以上>
こうした道徳の教科書の構成に慣れている方も多いのでしょうか。
基本の構成は、
「準備編:この本の使い方と自分のことを話す」
「本編:様々なテーマに合わせた道徳にまつわる読みもの=物語」
「意見表明編:自分の意見を表明し、教室で話し合う」
という3部構成なっています。
ここで直ぐに「小学校の道徳教科書の構成との共通点」に気づく方は、既に道徳教科の学習を或る程度知っている方でしょう。
なぜなら、教科書は、この本の内容構成はもちろん、その事例とする「お話」までも同じように採用し、構成することで、「教科書選定」されることを実現しようとし、その内容に従っているからです。実際にどの程度、この本の内容、「読み物」やその他の文部科学省の資料として提示されている「読み物」がそのまま、ほとんどの教科書に採用されているかは、以下の一覧をご覧いただくと明確です。
<「教育って何だろうこがねい連絡会」の教科書採択・道徳教科内容に関する講演資料より、転載>

<転載、以上>
大事なことはこうした教材までも管理指定する文部科学省なのですが、この項では、それぞれの「読み物」がいかに「道徳」という教科で総則で語られた5項目に従って準備されたものかを把握することです。その上で、司馬先生たちが、日本が歴史下で「儒教・朱子学」で語りたかったこととどのように異なっているかを知ることにあります。
「修身」で設計された明治・昭和と形作られた教育が、文化として日本におけるモラル、道徳といかに異なった内容になってしまったか、しかもそれは今も続いていることを理解することです。
<この項 作成中>
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