この試みが始まったのには、幾つかのきっかけとなる「本と人」があります。

その第一は、歴史学者の森浩一氏の同氏の食物史の記録ともいえる「食の体験文化史」です。

食の記録にその人の文化が見えてくるという体験を教えてくれたのがこの本です。同氏の序文の言葉を借りて、その内容を説明したいと思います。
以下、同書の序文からの抜粋です。

(前略)
「わが食物史の記録」は74年からつけている。最初の年は途中からだったので、一年分がそろうのは75年からである。だからすでに約20年分がたまっている。(中略)

だからある意味では、自分が自分(の食欲と食文化への実践的関心)を客観的にとらえていることであり、僕の方も食生活は自然にふるまっている。(中略)

そんなわけで、この記録は、僕が後世にのこすもっとも貴重な資料になるかもしれない。ことによると、どの時代の人も試みなかったことかもしれない。(中略)

この本では、僕の体験を主にして、考古学の資料や歴史の史料もまぜながら、いわば食文化の入門をさぐるのだが、僕の見聞した父の遺産が随所にでてくることであろう。(後略)


食の記憶をたどることが、その人と風土の食文化を知ることであり、同時にその親など、自分の食に影響を与えた周りの家族などの文化をも浮き彫りにすることになるという森氏の言葉に共感したのが、その第一歩でした。
この本は、自らの食の履歴を記録することでどんな「知」を発見できるのかを示してくれました。同時にそのことが家族や自分につながる人や地域の食文化をも描き出してくれることを教えてくれました。


その第二は、私が地域の食文化を研究する際に利用していた農山漁村文化協会が発行している書籍シリーズ「聞き書き東京の食事」「聞き書き長野の食事」という書籍群でした。

ある時期のその土地の食事を地域ごとに典型的な住民を暮らし、職などを分けて、直接ヒアリングして、地域の食文化を記録したものです。その時代、昭和年代とその前からの近代の地域食、風土食を展望できる史料として、貴重なものです。

この本では、「聞き書き」ということがどんな意味をもってくるのかを考えることになりました。
ある時点での「聞き書き」をまとめたこの試みがこの本だとしたら、今現在、多様な食生活・文化を持っている都会の多様な人々にヒアリングしたら、どんなことになってしまうのだろうという疑問符から最初ははじまりました。

現代の東京での食文化を描き出そうとしたら、どうなるのか?
海外体験や移住、住み替え体験など人によってその食歴は、とんでもなく多様になり、より個食化した日常とその地域の食文化は、とんでもなく多様なヒアリングを必要として、まとめきれるものではないように思えました。

ただ、ある意味では、森教授のように個人個人が自分でその食文化の歴史を記録するのはできるでしょう。なら、定点、定時間に限らず「聞き書き」し続けるという行為は、どんな意味を与えるのかということが頭をよぎりました。

つまり、その地域における現在の食文化を生み出している“連続性と変遷=居住者の変遷を見つける”という課題です。

また、同時に他者、聞き手の存在という意味合いで、何か、もっと違った展開へと発展できるのではということがもう一つの課題として残りました。

本来、この本のシリーズは、その聞き手を感じさせないようにし、対象をクローズアップすることで史料価値を確実なものにしているのですが、それを解った上で、そうではなく、「聞く」という行為、活動が医者の問診のような機能につながるのではという気持ちを呼び起こしました。

そして、このことが、次の第3の本との出会いへとつながりました。


その第三は、父と母を合わせて十数年介護し看取った後、東京の郊外の実家に暮らすようになって、この地域の介護をもう一度見直していたときに出会った「認知症の介護のために知っておきたい大切なこと(パーソンセンタードケア入門)」(トム・キットウッド&キャスリーン・ブレディン著)という介護についての本です。

父母は名古屋出身で、東京の郊外・多摩地域で私を産み、この東京の西にある住宅地、ベッドタウン=東京で働く親の居住する郊外が私の故郷でした。
私の食の記憶は、幼少時に父母の好みで当時の食卓に登場した名古屋の郷土食と東京の郊外の典型的な昭和30年代生まれの都会の子供たちが体験するパンもご飯もあり、カレー、ハンバーグなどに代表される和洋折衷のような料理がそれです。

もちろん、実家を出て、独立して後は、海外にも行ったり、都内で高級な和食や地方の名物料理や東京=江戸の食なども体験して、いつからか、親とは全くことなった食生活をするようになっていたときに「親の介護」から、実家に戻ったのです。

父母の介護のときに作った料理は、その時父や母が食べたいと主張した料理(もう、名古屋の郷土食ではありませんでした)と自分の好みの料理となりました。その後、介護施設に入ったり、自宅でヘルパーさんにお願いしたりした時のレトルトの介護食は、既成の老人食とでもいうものになっていきました。兎に角、働きながらの介護の大変さから、栄養のあるもの、食べやすいものを考えるのが精一杯といった状況でした。
今、考えるとどこまで父や母の食文化を考える余裕があったかというと、ほとんど無かったというのが実際でした。


第三の本は、「認知症介護」という大きな課題を扱っているのですが、その基本は、介護すべてに共通する大きなテーマ=個人個人への理解、ひとりひとりがかけがいのない存在であること、個人への理解です。さらに素晴らしい点は、よいケアは、介護する側、自らにも目を向けることを教えていることです。介護される側と介護する側のこころ、その通わせ方=交流の仕方の問題を取り上げている点なのです。

だからこそ、その相手を誰よりも知る家族が重要でもあり、家族でなければ、その個人を理解する努力がなにより重要だと教えてくれました。

その第四は、このサイトにある地域再生論研究で見つけた「人々の自然再生」という地域再生に関わる研究者の書籍です。

この本で語られている重要な手法のひとつが「聞くこと」「聞き書き」であったという地域再生活動の体験からのレポートでした。

この本についての詳細は、このサイトのこちらの地域再生論研究にある本の紹介ページをご覧ください。

このことは、食文化、食の現場=介護現場でも全く同じ筈だというのが、私のたどり着いた結論です。

これらことが第一、第二、第三、第四の本と重なって、うまれたのが食を提供する側とされる側、さらには介護する側と介護される側の双方への「聞き書き食歴書」づくりとそのつくろうとする活動自体を追いかけていくことも重要だとする試みなのです。
この食歴書を作ろうとする活動が地域の食文化、食コミュニケーションをより活性化させることになる筈だというのがこの「聞き書き食歴書」プロジェクトの発端なのです。


<この項、了>
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風土食研究への試み