1)【近江八幡の「木珠」生産の歴史】

<近江八幡観光物産協会の公式サイトより、転載>

近江八幡の木珠(数珠玉)の歴史は古く、聖徳太子からその手法を教わったと言われています。その当時近江八幡を含む蒲生野には良質の材木(桑、梅、桜)が産出されることも大きく要因しており、江戸時代に入ると全国の木珠の殆どが近江八幡で生産されていたと伝えられています。しかしながら、近江八幡では完成された製品の販売ではなく、半製品状態で京都に卸すといういわば部品屋としての存在であったため、数珠玉暖簾や装身具、調度品等として新しい部品の開発を手がけるなどして、生産量全国の70%を占める堂々たる地位を確立しています。

<転載、以上>

また、江戸時代の木珠生産については、以下のように説明しています。

<転載、部分>

西は野洲、北は犬上方面から良質の木材が産出されることもあり、近江八幡は数珠の製造に非常に適した土地でした。こうしたことから、一般庶民にまで仏教が浸透する江戸時代になると、数珠の製造はますますさかんとなり、全国の木珠のほとんどが、ここ近江八幡で作られています。

当時の数珠屋仲間は17軒で、なかでも城野家は聖徳太子の遺品「鉄鉢」を家宝とする最も古い数珠屋として知られ、全国の諸大寺の数珠所に指定されていました。しかし近江八幡では半製品のまま京都へ出荷し、そこで糸や房をつけて仕上げたのちに店頭に並んだため、産地名としてあまりその名を知られていませんでした。

<転載、以上>

2)【近江八幡の「木珠」生産の今】

現在は、近江八幡観光協会での伝統工芸特産品として、数珠(木珠)製造は取り上げられ、地域を上げて、その発展を支えているようです。
以下のメーカーがWeb上でその活動を見ることができます。株式会社カワサキさんは特に、多くの情報を提供しています。

【株式会社 カワサキ】

株式会社カワサキの公式サイトは、こちらをご覧ください。

このサイトには、現在も様々な木珠の素材を活用していること、その素材情報なども掲載されています。素材情報は、こちらから。

<この項、続く>
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